フランスから驚くべきニュースが届きました。「2018年6月1日、フランス厚生省はプレスリリースを発表。現在、アルツハイマー病の治療のために使われている薬を、8月1日より医療保険のカバーから外す」というものです。紹介してくださったのは、Yahoo!個人ニュースで執筆している市川衛さんです。(出典:アルツハイマー病治療薬・フランスで医療保険から外れる 変わる認知症治療の潮流とは)
今回、対象となった薬は、アルツハイマー病で認知症になった人の症状の進行を抑制するものとして、日本でも広く使われています。もちろん医療保険でカバーされ、必要な人は1割~3割程度を自己負担すれば手に入れることができます。
もし医療保険から外れると、手に入れるには全額が自己負担となり、本人が支払うお金が高額になります。この内容には、認知症専門医として共感できる点と、できない点の両方があります。今回は、月に1,000名の認知症患者さんを診察している長谷川嘉哉が、このフランスの新しい制度と紹介記事についてコメントさせていただきます。
目次
1.記事の概要
記事の概要はおおむね以下の3点に絞られます。
1-1.アルツハイマー病治療薬のメリットの証拠は不十分?
2016年10月、医療保険でカバーする薬や医療技術などの臨床効果を評価するHAS(高等保健機構)はアルツハイマー病治療薬の臨床的な有用性に関する検討結果を公表しました。世界中でこれまでに発表された研究を調べた結果、薬を使うことで施設への入所を遅らせたり、病気が重症化するのを抑制できたりなどの「良い影響」を示す証拠は十分ではないと指摘。
その一方で、消化器系や循環器系などへの有害事象は無視できないとして、これらの薬を「医療保険でカバーするのは適切ではない」と勧告しました。そして、冒頭の厚生省による決定につながったわけです。もしこれが真実ならば、日本の認知症治療も大きく見直さなければなりません。
1-2.効果があるはずなのに、証拠が不十分って?
過去の臨床試験では、「薬を適切な人が適切なタイミングで使えば、認知機能を調べるテストの低下を一時的に抑えられる」ということが示されています。そこで日本はもちろん世界中で、アルツハイマー病による認知症の治療に用いられています。
ただ、薬を使うそもそもの「目的」を考えてみると、多くの人にとってはおそらく「テストの結果を良くすること」ではありません。それより、ご本人の日々の生活の質が高まったり、施設に入所せずに自立してすごせる期間が長くなったりするなどの「良い影響」への期待が大きいように思われます。フランスHASは、それらの「良い影響があるかどうか」を検討した研究を調べた結果、現時点での証拠は「不十分」であると判断したようです。
1-3.薬からケアへ 舵を切ったフランス
冒頭で示したフランス厚生省のプレスリリースでは、今回の結論にいたった理由として「市民の健康を守り、患者さんの統合されたケアを推進するため」としています。今回の決定は、現在、治療薬に使われている薬剤費などを、より優先的に対策が必要と考えられる部分に投じるためのものなのです。なおリリースでは、いまだアルツハイマー病の根本的な治療法は見つかっていないことから、より良い治療技術の開発に向けた研究への投資は引き続き行うとしています。
2.日本の現状
日本でアルツハイマー型認知症などの認知症治療薬に使われているお金は年間1,500億円以上です。さらに85歳以上の超高齢者への処方が半分ほどを占めています。アルツハイマー型認知症などによる認知症に関しては、根本的な治療薬の開発が相次いで失敗するなど薬剤開発が難航しています。
一方で、認知症を抱える人の生活環境や周囲の対応を工夫することで、生活の質が高まったり、自立して暮らせる期間が伸びることも分かってきています。
3. 専門外の先生の処方における問題点
フランス厚生省の決定には、認知症専門医としても納得できる点もあります。そもそも、日本の医療制度では、専門医であろうが、非専門医であろうが、さらには研修医であろうが、同じ診察料で同じ薬が処方できてしまうことも問題の一つです。
3-1.処方に当たって、明確な診断をしていない
通常、血圧の薬を処方するのであれば、血圧を測定して血圧が高いことを確認してから処方することが当たり前です。しかし専門外の先生方は、抗認知症薬の処方でそんな当たり前のことを殆どしていません。
家族の「最近、お祖母ちゃんの物忘れがひどいんです」という訴えに対して、「なら薬出しておきますね」の軽いノリで処方されていることが多すぎるのです。もちろん、その際に症状に合わせて4種類の抗認知症薬を使い分けることはありません。
アルツハイマー薬に使い分けが必要な理由は以下の記事を参考になさってください。
3-2.効果判定をしていない
血圧の薬を処方すれば、血圧がどの程度下がっているか確認することも当たり前です。しかし、抗認知症薬では、そもそも最初の処方で明確な診断をしていないので、効果判定をしているケースは稀です。当院には、半径100㎞圏内から患者さんが受診にいらっしゃっています。
実は何も特別なことをしているわけではありません。当たり前に初診の段階で正しい診断をして、3か月毎に評価をしているだけなのです。
3-3.漠然と継続処方している
処方にあたって診断もせず、効果判定もしていないわけですから、一度処方すれば漫然と処方は継続されます。効果がない薬を継続するのは、医療費の無駄遣いです。さらに、抗認知症薬は、胃腸障害や陽性症状と言う攻撃性を呈する副作用さえあるのです。
4.専門医として抗認知症薬が必要と思われるケース
フランスの決断に反論する形になりますが、専門医として抗認知症薬を必ず使うべきケースもあります。
特に以下のケースでは効果が顕著です。
4-1.早期認知症および軽度認知症
アルツハイマー薬は神経細胞と神経細胞の流れを良くすることで症状の改善を図ります。そのため神経細胞の数が維持されている時期、つまり早期であればあるほど改善する可能性が高いのです。
私の外来でも、早期認知症で前頭葉機能だけが低下しているケースや、アルツハイマー型認知症でもMMSE(ミニメンタルステート検査、Mini Mental State Examination)が30点満点で20点以上あるケースなどは、抗認知症薬は進行を止めるだけでなく、改善するケースも多数見られます。
早期認知症については以下の記事で解説しています。
4-2.周辺症状のコントロールの際のメマリー
認知症の症状が進行して、周辺症状としての幻覚・妄想・攻撃性などが出現した場合のメマリーは効果抜群です。幻覚・妄想・易怒性で疲れ果てたご家族が、『先生、本当に穏やかになりました。』と感謝されたことは1,000例以上で経験しています。実際に、自宅での介護が不可能で施設入所が必要と思われるケースでも、メマリー投与で自宅介護が可能になることが多々あります。
フランスでメマリーを含む抗認知症薬が医療保険の適応から外されると、困る患者さんがいることは間違いないと思われます。
メマリーについては以下の記事で詳しく解説しています。
5. 処方が不要な例も
ただし、逆にこんなケースは処方が不要と思われるケースもあります。日本も患者、医師ともに医療費削減を考えねばならない時期なのかもしれません。
5-1.認知症末期例
認知症の側頭葉の機能を評価するMMSEも測定不能なレベル、ほとんど寝たきりの状態などの認知症の末期像では、抗認知症薬は効果がありません。気が付いた時点で中止すべきです。
5-2.副作用が出現している例
認知症が進行したケースで、特にアリセプト、レミニール、リバスタッチ/イクセロンパッチといったアクセル系の抗認知症薬を使用していると、過活動・暴言・暴力といった陽性症状が出現しやすくなります。また、消化器症状により食欲が低下しているケースもあります。この場合は、早急に中止すべきです。
6.まとめ
- 2018年8月1日からフランスでは、抗認知症薬が医療保険の適応から外されます。
- フランスの対応には、共感できる点とできない点が混じっています。
- 但し、日本も患者、医師ともに医療費削減を考えねばならない時期ではあります。