「最近、物忘れが多くなった」「判断が鈍くなった気がする」 そんなとき、多くの人が頭をよぎるのが「認知症」という言葉です。しかし、実はその前段階である「MCI(軽度認知障害)」から3割の人が回復しているという、希望に満ちたデータが発表されました。発表したのは、九州大学の研究チーム。日本老年精神医学会で報告されたこの成果は、「認知症=一方通行」という従来のイメージを覆すものです。しかも、回復のカギは意外にも「握力」にあったのです。
目次
1.MCIとは何か?─“グレーゾーン”の重要性
MCIとは「Mild Cognitive Impairment」の略で、日本語では「軽度認知障害」と訳されます。これは、認知症と正常の間にある“グレーゾーン”のような状態で、記憶力や判断力の低下はあるものの、日常生活にはまだ支障がない段階を指します。つまり、「まだ認知症ではないけれど、放っておくと進行するかもしれない」という警戒信号のような時期です。この段階で気づき、対策をとることができれば、進行を止めたり、さらには回復する可能性もある──今回の研究はその事実を裏づけました。
2.九州大学・久山町研究が示した驚きの結果
調査は、福岡県久山町で1961年から続く世界的にも有名な「久山町研究」の一環として行われました。対象は2012年と2017年にMCIと診断された65歳以上の高齢者398人。5年間の追跡調査で、380人の経過が明らかになりました。その結果は次のとおりです。
- 正常に戻った人:119人(約31%)
- MCIのままだった人:102人(約27%)
- 認知症に進行した人:106人(約28%)
つまり、約3人に1人が5年後に回復していたのです。これは、MCIの早期発見と生活改善によって、脳の健康が取り戻せる可能性を示す、非常に希望のあるデータです。
3.回復した人の共通点─「筋力」と「生活習慣」
では、回復した人にどんな特徴があったのでしょうか。研究チームの分析によると、次の4つの共通点が浮かび上がりました。
- 糖尿病がないこと
- 血圧が低めであること
- 年齢が比較的若いこと
- 握力が強いこと(筋力が保たれている)
とくに注目されたのが、4つ目の「握力」です。握力は全身の筋力の指標であり、身体の活動性や代謝機能とも深く関わっています。筋肉がしっかり保たれている人は、血流が良く、脳への酸素や栄養の供給もスムーズに行われます。その結果、神経細胞の活動が維持され、認知機能の改善につながると考えられています。「頭の健康は、体の健康から」─まさにそのことを裏づける結果です。
4.「認知症を恐れず、早く知る」ことが最大の予防
九州大学・二宮利治教授(公衆衛生学)は、この研究結果についてこう語っています。「認知症になる可能性は誰にでもある。診断を恐れて検査を遅らせるよりも、早い段階で認知機能を理解し、対策に役立ててほしい。」実際、MCIの段階であれば、食事・運動・生活リズムの改善によって回復するチャンスがあります。しかし、認知症が進行してしまうと、治療は難しくなります。だからこそ、「早く気づく」ことが何よりも大切なのです。「忘れっぽくなった」と感じた時点で、医療機関で検査を受ける勇気を持つこと。それが、未来の自分や家族を守る最初の一歩になります。
5.今日からできる5つの予防習慣
研究結果を踏まえて、今日から始められる認知症予防のポイントを整理しましょう。
- 運動を習慣にする:ウォーキングや軽い筋トレなど、週3回30分を目安に。とくに下半身を鍛えると血流が改善します。
- 生活習慣病を予防・管理する:糖尿病や高血圧は脳へのダメージを加速させます。定期的な検診と食事改善を。
- バランスの良い食事をとる:野菜・魚・豆類・オリーブオイルを中心とした「地中海式」や「和食」が脳にやさしい食事です。
- 脳を刺激する活動を続ける:読書や日記、楽器演奏など、頭を使う習慣は神経ネットワークの維持につながります。
- 人とのつながりを大切にする:孤立は最大のリスク要因。会話や交流を積極的に持ちましょう。
これらはどれも、特別なことではありません。「少し体を動かす」「人と話す」「楽しく食べる」──その積み重ねが脳を守ります。
6.まとめ──「MCI=終わり」ではなく「分岐点」
九州大学の研究は、「MCIから回復できる」という科学的根拠を示しました。つまり、認知症予防とは「未来をあきらめないこと」なのです。私たちは、自分の生活習慣を見直すだけで、脳の健康を取り戻す可能性を持っています。その第一歩が、“握力”──筋力を維持する努力です。「知ること」が、未来を変える。今日も手を握りしめて、一歩前へ踏み出しましょう。

認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。