昭和50年ごろ我が家は認知症を抱えた家族でした
父方の祖父が認知症
父親は、働き盛りで忙しく
子供達も小・中学生でそれなりに忙しい。
もちろん介護保険制度もなく
医師も認知症の認識が甘く
社会的フォローも貧弱
父親の兄弟も、親の介護をすることなど考えもしない。
結果、認知症の祖父の介護は
長男の妻である
私の母親が担っていました。
“祖父の認知症が悪化していること”を、
他の子供たちに訴える。
しかし、久々に訪れる子供たちの前だと
不思議と、祖父も元気になる。
結果、”少し大袈裟なんじゃない?”と言われる始末。
現在であれば、
“認知症患者さんが、久々に会った人の前では症状が出ないこと”は、
かなり知られています。
しかし当時は、そんな介護者へ投げかけられる
無神経な言葉が、
さらに認知症家族を疲弊させたものです。
そんな祖父も徐々に弱っていき
さらに認知症は悪化しました。
最後は、たまに訪れる子供たちの顔は忘れても
母親の顔は忘れませんでした。
これも、母親の意地であったのかもしれません。
ちなみに私の母親の名前は、”節子”です。
私は、節子という名の女性で
“か弱い女性”に出会ったことがありません。
小説や漫画でも”節子”はしっかりした女性の代名詞とさえなっています。
気丈な”節子”さんは、泣き言は言いません。
そんな節子さんも、
同じように傷つき、悩んでいることに変わりはありません。
母親は、今でも祖父の介護時代を思い出したくはないと言います。
しかし
祖父が穏やかな最期を過ごせたのも
認知症家族の経験から
自分が医師の道を歩めたのも
すべて、節子母さんのお蔭だと思っています。
そんな節子さんが、
外来にはいっぱいいらっしゃいます。
ねぎらいの言葉しか掛けることはできませんが、
張りつめたものが、解き放たれるのか
号泣される方も見えます。
これからの時代は、世の中の”節子”さんだけに
過剰な介護負担を、負わせないようにしたいものです。