できれば警察とは関わらずに生きていきたいものです。しかし、最近のストーカーまがいの延長による凶悪犯罪を目にすると、警察とのかかわり方も勉強する必要があります。元警察官の古野まほろさんの『事件でなければ動けません 困った警察官のトリセツ』はとても参考になるものです。いざという時のためにご一読をお勧めします。
- 最大の〈警察不信〉──事件でなければ動けません
- 警察官は噓を吐く…… さて、個人的な経験から断言しますが、警察官は平然と噓を吐きます
- 警察官は相手が弱いと見るや──要はねじ伏せられると見るや、「何でいきなりキレるんだ……?」「何で被害者に都合の悪い話ばかりするんだ……?」と 訝しみたくなるような 威迫を、加えてくることがある
- 「事件でなければ動けません」問題に共通する パターン、共通する 型、共通する 構造 が見えてくる
- 警察は組織ですので。組織で判断し組織で動くものですので。だから階級があり指揮系統があるのです。それが、当直の窓口や当直の巡査の判断でブロックされてしまったとなれば……何の事はない、対応したのは末端の係員1人であって、警察組織でも何でもありません。
- 下位の警察官の、実質的な個人プレイ。勤務時間外等の、多忙又は人手不足な時間帯。常識で考えて、理解不能な言い訳あるいは噓。上司上官等、他の警察官の不介入あるいは指揮の欠如。結果としての、義務の 懈怠(サボり)── こうした悪夢のような要因は、「事件でなければ動けません」問題にほぼほぼ共通するもの
- 被害届と告訴とでは、警察に与えるインパクトが異なる
- 告訴の取下げというのは要は処罰意志の撤回ですから、それを警察から働き掛けるとすれば論外ですし、いったん告訴を取り下げれば、刑事訴訟法がハッキリ規定するとおり、再度の告訴は不可能となります。
- 命令-強制-上下関係でなく、「お互いいろいろ立場はあるけれど、まさか敵ではないし目的は一緒なのだから、どうにか解決法を探そう」という話し合い-合意-同盟関係によって、行動の変容をうながし、目的の達成につなげる方が合理的
- この世には『民事でもあり刑事事件でもある』という出来事が存在する……むしろ腐るほど存在するからです。そしてそのような出来事については、警察が対処しなければなりません。当然のことです。刑事事件でもあるというのなら、それは当然に〈警察の責務〉に含まれるから
- サボタージュをする 不良警察官は、 ① 刑事事件 でもある という側面をガン無視しあるいは聴き取りもせず、 ② 民事の側面 のみを殊更 に採り上げ、 ③ それが純然たる民事であるかのように噓を吐き、だから警察の責務に含まれないと噓を吐き、④ 当然実施すべき捜査その他の警察活動をまるでしない。
- 実は誰もよく内容を詰めていなかった〈民事不介入の原則〉は、警察によるサボタージュの口実ともなれば、市民による警察撃退の口実ともなっていた
- 現代の警察においては、 たとえ純然たる民事であるかのように見える場合であっても、いささかでも何らかの事件性が疑われるなど、積極的に警察措置を講じるべきと認められるときは、むしろ 躊躇せず介入すべきだ、介入を躊躇っていてはならない
- 被害申告を受けたとき、この警察官が行わなければならないのは、 膨大な数・膨大な種類がある〈犯罪〉のうち、いったいどれに当たるんだ? 膨大な数・膨大な種類がある〈罰則〉のうち、いったいどれが適用できるんだ? という〈診断〉〈診立て〉
- 市民と警察は協働・同盟の関係にあり、一緒に『問題解決』を指向する立場にあるからです。だから理由・根拠は『問い糾す』ものではなく『一緒に確認して、認識を共有する』もの