表彰の前に検証を 保険営業の“優秀”を疑え 『対馬の海に沈む』より

表彰の前に検証を 保険営業の“優秀”を疑え 『対馬の海に沈む』より

本書が描き出すJA対馬での不祥事は、単なる一個人の過ちとして片付けることのできない、組織と制度の深い病理をあぶり出しています。その中でも特に、「成果主義」「ノルマ至上主義」がいかに人間性を蝕み、最終的には組織そのものを崩壊へと導いていったかを克明に描いており、保険業界をはじめとする営業職全体にとって他人事ではない重大な示唆を含んでいます。

『対馬の海に沈む』は、日本の離島・対馬を舞台に、JA対馬における共済の営業担当者・西山による巨額の不正と、その背景にある制度的・組織的問題を追ったノンフィクションです。著者の窪田新之助は、粘り強い取材を通じて、単なる「悪人探し」に終始するのではなく、なぜ西山のような人物が生まれ、なぜ周囲がそれを止められなかったのか、という本質的な問いを私たちに突きつけてきます。

本書を読む中で特に印象に残ったのは、営業職に課せられる「ノルマ」が、いかにして個人を追い詰め、組織を歪めていくかという点です。作中では「職員が課せられるノルマはあまりに大きく、普通に営業するだけではこなせないとあり、営業職員が「自爆営業」として、自身や家族を必要以上に共済に加入させる実態が描かれます。これは、成果を重視する営業制度が、数値だけを追い求めるあまり、本来の顧客第一という目的を見失ってしまった典型例です。

さらに、「共済の契約、貯金の獲得、スーツや家電、宝飾品の販売」など、多岐にわたるノルマは、もはや農協の本来の業務とはかけ離れており、職員の本業意識や倫理観を崩壊させていく温床となっていたことが分かります。営業職員たちは、組織に従属するしかない立場に追い込まれ、結果的にノルマ達成のためなら手段を選ばない思考に陥ってしまったのでしょう。

その象徴が、西山という人物です。彼は「日本一の契約を勝ち取れた」とされ、JA内で高く評価される一方で、不正な手段によって契約を増やし続けていたとされます。ここで浮かび上がるのは、保険を販売する企業における「表彰文化」の危うさです。優秀な営業マンを表彰すること自体は、モチベーション向上の手段として有効かもしれませんが、あまりに高額・高数の契約を上げている場合には、営業スタイルに問題がないかを企業側が積極的に検証する仕組みが必要不可欠です。

企業が営業職の成果を単に数字だけで評価し、それを称賛し続けるのであれば、不正を誘発する土壌を自ら育てているのと同じです。西山のような存在は、個人の資質だけではなく、組織文化そのものが生み出した「怪物」だったと言えるでしょう。そして、その「怪物」を利用して利益を上げ続けたJA対馬の幹部たちは、西山の不正が明るみに出ることで「組織が立ち行かなくなる」ことを恐れ、むしろ問題を隠蔽する方向に動いてしまった可能性が示唆されます。

こうした構造的な問題を放置したまま、「不正を働いた社員が悪い」として済ませることは、同じ過ちを繰り返す温床になります。実際、JA共済連は「自らは被害者である」と主張しつつ、西山の遺族に22億円超の損害賠償を求めて訴訟を起こしているという事実には、責任転嫁の臭いすら感じざるを得ません。

特筆すべきは、本書が一方的に西山を断罪する内容ではない点です。たとえば、「彼が最もひどい目に遭わせた上司が、最も彼の身を案じていた」という描写には、人間の複雑な関係性や、組織の中で苦悩しながらも助け合おうとする姿が垣間見え、読み手に深い余韻を残します。


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本書は、地方の農協という一見小さな世界で起こった事件を通じて、私たちが見過ごしがちな「営業とは何か」「成果とは何か」「組織とは何のためにあるのか」という普遍的なテーマに迫っています。今後、保険業界をはじめとするあらゆる営業組織がこの事件から学ぶべきことは多く、特に「結果が出ているから素晴らしい」と短絡的に評価する姿勢は、根本から見直されなければなりません。

『対馬の海に沈む』は、読み終えた後もしばらく胸に重く残る作品でした。数字至上主義の危険性、そして人間性を取り戻すために組織がどうあるべきか、深く考えさせられる一冊です。保険業界に限らず、営業や組織に関わるすべての人に読んでほしいと思います。

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