誰もがなりたくない「認知症」。マスコミは連日「○○は認知症予防に良い!」「○○をすると認知症を改善させる!」などと情報を溢れさせていて、どれを行動に移してよいか分からないほどです。
現在、認可されている抗認知症薬も医者の中でさえ「○○の薬は効果がない」「○○がとても効果があった症例を経験した」など、意見が異なります。そのうえ、世界中の優秀な人材がお金と時間をかけて研究をしても特効薬は開発されません。
以前、認知症の研究をされている大学の医師とお話をして、実際に患者さんを診るという臨床経験が極めて乏しいことに驚きました。さらに認知症研究には、医師でない研究者も取り組んでいますが、彼らはそもそも患者さんを直に見たことはありません。毎日認知症患者さんを診察しているものからすると、そこに何か認知症の特効薬が開発されない理由があるのではと感じています。今回の記事では、月に1,000人の認知症患者さんを診察している、認知症専門医の長谷川嘉哉がその理由を解説します。
目次
1.認知症の原因は単一でない、とは
日々の診療で感じることは認知症の原因は単一ではないことです。医療の歴史では、例えば、結核の原因は結核菌。結核菌を退治できれば、結核自体を治療することができます。しかし、認知症の原因は多岐にわたります。同じ認知症であっても、多くの原因が、それぞれに組み合わさって発症しているのです。
そのため私個人としては、特効薬が出現して、認知症が完全に治る日は来ないのではないかと思っています。特効薬ではなく、患者さん一人一人の原因をチェックして、それぞれに対するオーダーメードの治療が必要なのです。
2.遺伝子の影響がかなり大きい
認知症が治らない原因の一つが、そもそも遺伝子の影響を受けるということです。遺伝子にもいくつも種類がありますが、その中でAPO-E遺伝子はかなりの影響力です。
アポEという遺伝子型には2型、3型、4型の三種類があり、父親から一種類、母親から一種類を受け継ぎます。つまり、子どもが持つアポEの遺伝子パターンは、「2・2」「3・2」「3・3」「4・2」「4・3」「4・4」の6種類のうちいずれかになります。このうち、4を一つ持つ人は実年齢より11歳年上相当に、二つ持つ人は23歳年上相当である、ということが分かっています。
実際に、認知症専門外来においては、アポE遺伝子の4型を持っている方が多くみられます。4型を一つ持っている患者さんは、一般社会での頻度は15%程度ですが、認知症専門外来では30%と通常の2倍になります。4型を二つ持っている患者さんは、一般社会での頻度は1%程度ですが、認知症専門外来では10%いらっしゃいます。つまり通常の10倍になるのです。つまり、認知症初診の患者さんのうち4割程度は、4型を持っているのです。
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3.生活習慣も影響する
認知症のは、遺伝子的な素因に生活習慣が加わることで発症します。
3-1.運動不足
私が学生の頃は、「脳の神経細胞の数は生まれたときに決まっており、その後は加齢とともに減っていく一方で、増えることはない」と学びました。しかし、神経細胞の数を増やすために、運動が効果的であることがわかっています。いくつかの研究では、有酸素運動によるトレーニングを行うことで、記憶をつかさどる海馬が大きくなることもわかっています。さらに継続的な運動によって、脳の認知能力が強化されることも明らかになってきています。
3-2.大量飲酒の習慣
認知症の初診で必ず行う検査は「頭部CTによる撮影」です。その画像を見て私が「○○さんはお酒をたくさん飲まれていましたか?」と質問すると驚かれるものです。実は患者さんが過去にアルコールを大量摂取していたか否かは、認知症専門医が頭部CTを見れば一瞬でわかるのです。お酒の影響を受けていない方と比べて、脳萎縮の程度が明らかに進んでいるからです。
認知症には多くの種類がありますが、アルコールはすべての種類の認知症のリスクを増大させます。そのうえ進行すると身体介護・認知症介護いずれの面でも家族の介護負担を重くさせます。但し、それ以前に家族関係が崩壊しているケースも多くみられます。
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3-3.長年の喫煙習慣
喫煙者は、非喫煙者の1.5倍、認知症の発症リスクが高まると報告されています。
実は喫煙は、肺がんなど呼吸器の病気だけでなく、動脈硬化や糖尿病、心筋梗塞、脳卒中などさまざまな病気と関係しています。喫煙により血管が収縮し、血液の粘度が高まり血流が低下することで、末梢にある細胞に新鮮な酸素と栄養素が十分に届けられなくなり、脳の血管に障害が起こります。それにより、脳の神経細胞がダメージを受けることで認知症発症のリスクも高まるのです。
3-4.配偶者の支配下では思考停止
認知症全体では、男性の方が多いのですが、その中でアルツハイマー型認知症は女性に多く見られます。原因として、女性が長生きすることもありますが、「このご主人が、奥様のアルツハイマー型認知症の一因ではないか?」と感じることがあります。
アルツハイマー型認知症の女性患者さんのご主人は、とても個性の強い人を多く感じます。とにかく自信家で自己主張が強く、スタッフがご主人に当惑するほどです。診察を待つ間も、始終スタッフに文句を言っていたり、診察室に入ってきたらまずは苦言から始まるということも珍しくありません。自分の主張を譲らないことや、自分の考え方を押しつけることは、配偶者の思考を停止させてしまいます。独善性という危険因子が、形を変えて配偶者を認知症にさせてしまうケースがあるように感じています。
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3-5.人とのつながりが希薄
健康な暮らしには、健全な体と心、そしてコミュニティが必要です。おしゃべりは良好な人間関係を築くのに重要で、コミュニティの中での人とのつながりは生きがいや楽しさを感じさせてくれます。この生きがいや楽しさがあることが脳に好影響を与えると考えます。最近の研究ではおしゃべりは認知症を、さらには寝たきりまで予防する効果が分かってきました。
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4.合併症も影響する
加齢に伴って生活習慣病をはじめとする疾患を抱えることになります。そんな合併症が認知症を悪化させるのです。
4-1.糖尿病
糖尿病のある高齢者の場合は、高血糖の状態が長く続くことで認知機能が低下しやすくなり、もともと軽度の認知障害がある方はさらに進んで認知症を発症しやすくなります。糖尿病の方はそうでない方と比べると、アルツハイマー型認知症に約1.5倍なりやすく、脳血管性認知症に約2.5倍なりやすいと報告されています。また、糖尿病治療の副作用で重症な低血糖が起きると、認知症を引き起こすリスクがさらに高くなります。
4-2.高血圧
高血圧は、認知症の中でも血管性認知症のリスクを高めます。高血圧の人は血圧が正常な人に比べて、「老年期(65~79歳)の高血圧の人は正常な人に比べて血管性認知症のリスクが3.0~5.5倍高く、中年期(50~64歳)の高血圧の人は正常な人に比べて血管性認知症のリスクが2.4~10.1倍高い」と報告されています。
4-3.脂質代謝異常
脂質異常症とは、血液中のコレステロールや中性脂肪などの脂質が基準値より多い状態を言います。脂質異常症は動脈硬化の原因になり、心臓や脳の血管に障害が起こりやすくなるため、とくに中年期の脂質異常症は認知症のリスクになるのです。
4-4.難聴
老人性難聴は認知症の発症にも影響を与えます。2017年7月、専門誌『THE LANCET』に難聴が認知症の原因となった疫学調査が掲載されました。その論文では、仮に難聴になる人を完全に無くすことができたら、認知症を今より9%も減らせると指摘しています。
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5.薬の効果の違いは?
外来で認知症の診断をして抗認知症薬を処方しようとすると、ご家族から「認知症の薬は症状の進行を止めるだけなんですよね?」と質問されることがあります。
しかし、抗認知症薬は神経細胞と神経細胞の流れを良くすることで症状の改善を図ります。そのため神経細胞の数が維持されている時期、つまり早期であれば早期であるほど改善する可能性が高いのです。
その点を理解されていない専門外の先生が、重度の認知症患者さんへ抗認知症薬を投与して、「効果がない」と判断されてしまうことがあまりにも多いのです。
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6.研究の戦略が間違っている?
認知症研究の対象であるアミロイドβと脳萎縮が、認知症にどれだけ関与しているかさえ疑問です。
6-1.アミロイドβが認知症の原因?
アミロイドβは、アルツハイマー型認知症に見られる老人斑の大部分を構成しているたんぱく質で、健康な人の脳にも存在し、通常は脳内のゴミとして短期間で分解され排出されます。しかし、正常なアミロイドβよりも大きく異常なたんぱく質ができてしまうと、排出されずに蓄積されてしまうのです。蓄積した変性型のアミロイドβプラークは、脳細胞を死滅させると考えられています。
しかし、老人斑が多いあるからといって認知症になるわけではありません。実際に、病理所見を比較しても、老人斑の数は「アルツハイマー型認知症」と「加齢に伴う老人性変化」に差がないこともありました。ときには、認知症症状のなかった「加齢に伴う老人性変化」の方が老人斑の数が多いことさえあったのです。つまり、認知機能の低下と老人斑の数は一致しないのです。
6-2.認知機能の低下と脳萎縮の程度が一致しない矛盾
認知症の原因は何でしょうか。現在はアミロイドβが関与しているという仮説が、最も有力とされています。このアミロイドβ仮説では、「アミロイドβの毒性により、傷ついた神経細胞が次々と死んでいくことにより、脳が委縮し認知症を発症する」としています。これについても臨床で日々多くの矛盾を感じています。
認知症の患者さんの脳萎縮の程度は、臨床症状とあまり関係がないのです。はっきり言えば、「萎縮があっても正常な患者さん」もいますし、「萎縮がなくても認知症の症状がある患者さん」もいらっしゃるのです。つまり、認知機能の低下と脳萎縮の程度が一致しないのです。アミロイドβだけにとらわれると認知症そのものを把握できないのではないかと実感しています。
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7.長年の習慣は凄い!
長年の生活習慣は、遺伝子、生活習慣、合併症等の影響をも補ってしまうことあります。
7-1.フォークリフトはナンバーワン
80歳を超えた男性患者さん。認知機能は低下しており、免許の更新の試験でも25点しか取れず、運転免許は失ってしまいました。しかし、自身の工場内でのフォークリフトの運転技術は社員のだれにも負けません。公道での運転はできませんが、工場内での作業は続けてもらっています。
7-2.熟練技術は衰えない
85歳の女性です。認知症はかなり進行しており、瞬間的に物事を忘れてしまいます。しかし、50年以上仕事をしている、皿への絵付け作業の技術は衰えていません。家族も本人もそろそろ退職したいのですが、会社から頼まれて仕事をしています。まだまだ、デイサービスには行けそうもありません。
7-3.昔覚えた百人一首は忘れない
食事したことを忘れるほど認知症が進行しても、百人一首は忘れません。小学校の頃に、無理やり覚えさせれたそうです。すらすらと、句が出てくる姿は素敵です。
8.関連が予想される因子
次から次へ認知症との関連される因子がわかってきています。
8-1.歯周病菌が認知症に影響
歯周病が認知症を引き起こすメカニズムまで明らかになってきました。歯周病菌から出ている毒素や、免疫細胞が細菌を攻撃するために出すサイトカインが増殖することで、脳内のアミロイドβが作られる量が増えたのです。つまり、歯周病の予防や治療で、アルツハイマー型認知症の発症や進行の抑制につながる可能性があるのです。
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8-2.腸内細菌が認知症に影響
腸には独自の神経ネットワークがあり、脳と腸がお互いに密接に影響を及ぼしあう「脳腸相関」があります。ストレスを感じると「お腹が痛くなる」のは,脳が神経を介して腸にストレスの刺激を伝えるからです。一方で,腸内細菌も脳の機能に影響を及ぼすという研究が蓄積しています。つまり認知症発症にも、腸内細菌が関係している可能性があるのです。国立長寿医療研究センターの研究では認知症の人は腸内の「バクテロイデス」という細菌が少なく、認知症でない人は多い傾向があったそうです。
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9.認知症特効薬は開発されない前提で生活する
認知症の原因となる多くの因子をご紹介したことで、認知症の特効薬や開発されない理由がお分かりいただけたと思います。どうぞ、特効薬を期待するのではなく、日々の生活を生活習慣に気を付け、生活習慣病を予防治療し、できるだけ仕事を続けるような生活が大事なよううです。
10.まとめ
- 認知症は、多くの原因が関与することで発症します。
- 遺伝の影響に加え、生活習慣や合併症が発症に影響を及ぼします。
- 特効薬ではなく、患者さん一人一人の原因をチェックして、それぞれに対するオーダーメードな治療が必要なのです。