曽祖父は、クリーニング屋さん

先回ご紹介した三浦綾子さんが
白洋舎の創設者、五十嵐健治氏の生涯を描いた
『夕あり朝あり』に感銘を受けたことには理由があります。
実は、私の曽祖父はクリーニング屋だったからです。
曾祖父である長谷川金次郎(明治16年12月1日生まれ)は
1891年(明治24年)に起こった濃尾地震の影響で生活に困り、
岐阜県の海津郡今尾町から母親と二人で名古屋に出て、
その時に、出会った仕事が”クリーニング屋”だったそうで。
当時の川柳、
“洗濯屋近所の垢で飯を食い”という言葉からも
一般的には嫌がられる商売であったようです。
その中でも曽祖父は、名古屋の中村にあった
遊郭などを回って、仕事を得たようです。
幸い、仕事は大繁盛し、
当時の繁華街、大須に店を構えるようにまでなりました。
子供は私の祖母にあたる娘が一人。
養子を貰い、そこに生まれた初孫であり、
念願の男子が私の父親であったようです。
その時の、曽祖父の喜びようは尋常でなく、
当時、空気を汚さない暖房器具として発売された
電気ストーブを購入。
その電機代で、祖父の給与が飛んでしまったそうです。
さらに、小学生の頃の服も、すべてオーダーメイド。
これにも祖父は、『自分より良い服を着ていた』
言っていたことを、覚えています。

そんな曽祖父ですが
凄いのは、戦争が近付くと、
店を人に譲り、
代わりに多くの不動産を購入したようです。
当時は、家賃振り込みもなかったため
家賃を集金する人を雇っていたそうですから
大したものです。
そんな不動産も戦争の混乱でかなり失ったようですが
いまだに自分達も、恩恵を受けています。
『夕あり朝あり』を読んで思わず、
曽祖父を思い出しました。
曽祖父の優れた経営センスが
少しでも自分に残っていれば嬉しいものです。
感謝!感謝!感謝!です。


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