先週、7月7日は、肥田君の絵を見に行く前に、松坂屋南館で三岸節子展を見てきました。
三岸節子さんは愛知県の一宮生まれの画家です。
戦後、花の絵などで一躍、人気作家になりました。
ちなみに、彼女の“薔薇”という作品(リトグラフ)は、ナーシングデイに寄贈してあります。
残念ながら、職員の評価は今一つのようです。
皆の、扁桃核は刺激しないようです。
ちなみに今回の展覧会は、彼女の明治、大正、昭和、平成の各時代の代表作品でたどったものでした。
その中で凄いのは、彼女が63歳のときに新境地を求めて、渡仏している事です。
その時の日記が凄い。
紹介すると
『私の運命は好んで困難な道を歩む。私の性格がかく追い込むのか。運命のいたらしめるところか。そのいずれかでもあろう。勇気をふるって全努力を傾けなければ、敗者たるを免れぬ。ひとたびヨーロッパにきたからには、新しい境地を切り開かねばならぬ。新鮮な世界、これさえ成就できれば生甲斐である。なんという難しい世界か、しかしやり遂げねば。カーニュに死すともよし』
凄い文章だと思いませんか?
明治生まれの女性が、60歳を過ぎてもこの向上心。
やり遂げねば、死んでもよいとの決意。
ところで、当日は、三岸節子さんのお孫さんの太郎さんが、おばあさんの思い出話をされていました。
周りの人を、自分のために働かせる事がとても上手い人であったと言われていました。
言い換えると“暴君”だとも言われていました。
私の経験ですが、“節子”という名前の方は、とてもしっかりしていると思います。
講演でも、この話をすると多くの聴衆が納得されます。
ちなみに私の母も、節子です。
ちなみに寅年です・・・・。