今回は、患者さんのご家族から実際に伺った、非常に考えさせられる出来事を紹介します。これは決して特別な話ではありません。むしろ、どこの家庭でも起こり得ることです。認知症の方がいる家庭だけの問題ではなく、これから誰の家庭にも起こりうる問題です。ぜひ最後まで読んでください。
目次
1.いつも自慢していた指輪がない
ある日、ご家族がふと気づきました。「いつもしていた指輪がない」その患者さんは、毎日のようにその指輪を眺めては「これ、きれいでしょう?」と誇らしげに話していたそうです。家族にとっても見慣れた、大切な思い出の品でした。しかし、その指輪が突然なくなっていたのです。
部屋を見渡すと、机の上にぽつんと置かれていたのは1万円札。嫌な予感がしたそうです。最初は本人に聞いても、はっきりした答えは返ってきませんでした。しかし何度か話しているうちに、どうやら訪問買取の業者が自宅に来たことが分かりました。しかも売ったのは、その大切な指輪だけではありませんでした。石が外れた古い指輪や、もう使っていなかったアクセサリーなど、合計7点の指輪。本人は少し嬉しそうに、こう言ったそうです。「古くなったのと、使わないのをまとめて1万円になったのよ」悪気はまったくありません。むしろ、「得をした」と思っている様子でした。
ここが、とても怖いところです。
2.家族の迅速な対応
幸いなことに、このご家庭では家族がすぐに異変に気づきました。机の上には買取の明細書が残っていたため、すぐに業者へ連絡。すると業者はほどなくして戻ってきて、売却された品物はすべて返還されたそうです。
ここまで聞くと、「ちゃんと対応してくれた業者では?」と思うかもしれません。しかし、その後の出来事が衝撃でした。家族が念のため、近隣の別の買取店に査定を依頼したところ――指輪7点の査定額は約32万円。
つまり、32万円の価値のものが、1万円で買い取られていたのです。差額は31万円。これが現実です。
3.なぜこんなことが起きるのか
これは単なる「安く買い叩かれた」という問題ではありません。問題は判断能力です。認知症の初期から中等度の方は、
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会話は普通にできる
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受け答えもできる
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自分でサインもできる
そのため、外見だけでは問題が分かりにくいのです。しかし実際には、
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相場が分からない
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雰囲気に流されやすい
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褒められると気分が高揚する
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断ることが難しくなる
こうした変化が起きています。つまり、“騙されやすい状態”になっているのです。
4.「褒められる」と判断力は落ちる
この患者さんは、普段からその指輪をとても大切にしていました。そこへ業者が来て、
「奥様、素敵な指輪ですね」
「これは価値がありますよ」
「今なら特別にお値段をつけます」
こう言われたらどうでしょうか。人は誰でも、褒められると嬉しいものです。
特に高齢になると、「自分はまだ価値がある」と感じる瞬間は、とても大切です。
しかし認知症では、前頭葉の機能が低下します。前頭葉は「判断のブレーキ」をかける役割があります。そのブレーキが弱くなると、
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即断してしまう
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衝動的に決めてしまう
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感情が判断を優先する
という状態になります。目の前に現金1万円を置かれたら、それだけで「得をした」と感じてしまう。本来32万円の価値がある物でも、その場では比較することができません。これが認知症の怖さです。
5.カバンの中の“いくつもの袋”
家族が印象的だったと話していたことがあります。業者のカバンの中には、
いくつもの袋が入っていたそうです。そのうちの一つに、この患者さんの指輪が入っていました。
つまり――
これは日常的に行われている可能性が高いということです。もし1件で数十万円の差益が出るとしたら、1日に何件回るのでしょうか。想像すると、非常に恐ろしくなります。
6.「返してくれたから大丈夫」ではない
今回は、家族がすぐ気づいたため、品物は戻ってきました。しかし、もし
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家族が気づかなかったら
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明細書が残っていなかったら
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連絡先が分からなかったら
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本人が「自分が売った」と言い張ったら
どうなっていたでしょうか。実際には、取り戻せないケースも多く存在します。そして難しいのは、本人が「被害者」と感じていないことです。
7.今すぐできる対策
こうした被害を防ぐために、家庭でできる対策があります。
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飛び込み訪問は必ず断るように伝える
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玄関に「訪問販売お断り」のステッカーを貼る
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貴金属や貴重品の保管場所を見直す
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定期的に持ち物を確認する
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近隣住民と情報共有する
そして最も大切なことがあります。
本人を責めないことです。「どうして売ったの!」「騙されたのよ!」こう言ってしまうと、本人は「自分の判断を否定された」と感じてしまいます。その結果、次からは隠すようになることもあります。大切なのは、
「今回はちょっと安かったみたいだね」
「次は一緒に相談しようね」
と、信頼関係を保つことです。
8. これは他人事ではない
認知症は特別な人の病気ではありません。現在、日本では65歳以上の約5人に1人が認知症と言われています。軽度認知障害まで含めると、さらに多くなります。
つまり、「自分の親も対象になり得る」ということです。
訪問買取、訪問販売、リフォーム詐欺、投資勧誘。判断力が少し落ちただけで、
人は簡単に標的になってしまいます。
最後に
今回のケースは、家族がすぐ動いたことで守ることができました。しかし、守れなかった事例も現実には多くあります。お金の問題は、家族関係を壊すことがあります。
しかし本当に大切なのは、お金そのものではありません。本人の尊厳です。
本人が「価値のある存在」であり続けるために、私たちはどう支えていくのか。ぜひ今日、家族で話してみてください。
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訪問販売が来たらどうするか
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貴重品はどこにあるか
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困ったとき誰に相談するか
話し合うだけで、防げる被害があります。この記事が、どこかの家庭の被害を
1件でも減らすきっかけになれば幸いです。

認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。