認知症専門医として日々高齢者医療に携わっている立場から、今日はあえて少し刺激的なテーマを書きます。「健康寿命」という言葉に、私たちは少し振り回されすぎてはいないでしょうか。
目次
1.「人生最後の10年は不健康」という本当?
厚生労働省の発表では、2022年時点で
・男性の平均寿命は約81歳
・女性の平均寿命は約87歳
一方、健康寿命は
・男性 約72~73歳
・女性 約75~76歳
およそ10年の差があります。
この数字だけを見ると、まるで「人生最後の10年は不健康で寝たきり」という印象を受けます。そしてそこから、
- 健康寿命を延ばそう
- 医療費を減らそう
- 高齢期は大変だ
というストーリーが自然に組み立てられていきます。しかし、本当にそうでしょうか。
2. 健康寿命の算出方法を知っていますか?
実は健康寿命は、医師の診断や血液検査のデータから算出されているわけではありません。基礎になっているのは「国民生活基礎調査」というアンケートです。質問は非常にシンプルです。
「あなたは現在、日常生活に制限がありますか?」
ここで「ある」と答えた人を“不健康”として分類します。
つまり、これは主観的評価なのです。
- 膝が痛くて長距離を歩けない
- 階段が少しきつい
- 物忘れが増えた気がする
これらも「制限あり」に含まれます。
医師の診断ではありません。客観的な身体機能測定でもありません。検査データでもありません。それでも「健康寿命終了」とカウントされるのです。この数字を、そのまま「人生の最後の10年」と表現するのは、少し乱暴ではないでしょうか。
3.実際にどれくらい寝たきりなのか
では現実のデータを見てみましょう。2023年時点で、要介護認定を受けている高齢者は約690万人。
高齢者人口は約3600万人です。つまり、約8割は要介護認定を受けていません。
さらに、要介護3以上の重度者は全体の約3~4%程度とされています。
研究によれば、寝たきり期間の平均は
・男性 約1.5年
・女性 約2~3年
という報告もあります。
「10年」という数字とはかなり印象が違います。
4.学術的にも議論は続いている
疫学の世界では、
- 健康寿命はQOLを完全に反映していない
- 精神的充実度を測れていない
- 主観バイアスが強い
といった指摘が繰り返されています。
同じ身体状態でも、
- 前向きな人は「健康」と答える
- 不安傾向の強い人は「不健康」と答える
これで寿命を分けているのです。統計としては有用です。しかし「あなたの人生はあと何年健康です」と語れるほど精密なものではありません。
5.医療現場で見えるリアル
私は認知症専門医として、多くの高齢者と接しています。
80代で糖尿病があっても、旅行を楽しみ、笑顔で暮らす方は大勢います。
軽度認知症でも、家族と冗談を言い合い、穏やかな日々を過ごす方もいます。
一方で、検査データは完璧、運動習慣も完璧。それでも将来不安で眠れない方もいます。
どちらが「健康」でしょうか。数字では測れないものが、人生にはあります。
6.幸福を決めるのは何か
長期縦断研究で有名なハーバード大学の研究では、75年以上にわたり人々を追跡し、幸福の最大要因は「良好な人間関係」であると報告されています。
高齢期の幸福感は、身体機能よりも
- 社会的つながり
- 役割感
- 存在意義
に強く影響されます。
しかし、健康寿命の統計にはこれらは含まれていません。
7.それでも健康寿命は無意味か?
いいえ、無意味ではありません。医療費予測、介護保険制度、公衆衛生政策。社会設計には必要な指標です。行政にとっては重要な数字です。しかし問題は、それを個人の人生設計にそのまま当てはめることです。
健康寿命を1年延ばすために
- 転倒が怖くて外出しない
- 塩分を恐れて食事が味気なくなる
- 好きなことを我慢する
それは本当に賢明でしょうか。
疫学的に見ても、健康状態には
- 遺伝要因
- 環境要因
- 偶発的事故
が大きく影響します。完全にコントロールすることはできません。健康寿命を「努力で完全に延ばせる」と信じるのは、科学的にも過信です。
8. 私が考える“本当に延ばすべきもの”
私は、延ばすべきは健康寿命そのものではなく、
「納得寿命」だと思っています。
どんな状態になっても、
- 人とつながり
- 感謝し
- 感謝され
- 尊厳を保てる
それが本当の意味での健康ではないでしょうか。

認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。