透析は他人ごとではありません。超高齢化の時代、誰でも透析導入になる可能性があります。しかし、この国では透析を止めるということに医療現場も、国としてもまったく無策です。この本は、医療従事者のみならず、政治家から一般の人にまで多くの人が読む必要があります。透析における現実を知らないと、人生の最期を苦しみぬいて亡くなる可能性さえあるのです。透析患者さんの元家族である堀川惠子さん渾身の作品です。是非、襟を正して熟読してみてください。
- 私たちは確かに必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった。
- 夫の全身状態が悪化し、命綱であった透析を維持することができなくなり始めたとき、どう対処すればいいのか途方に暮れた。医師に問うても、答えは返ってこない。
- どんな苦痛を伴おうとも、たとえ本人の意識がなくなろうとも、とことん透析をまわし続ける道しか示されなかった。
- 私たちが終末期の現場で直面した困惑と苦痛は、個人の努力不足だけで起きたわけではなかった。人間として未熟ではあったが、死への準備や覚悟が、ことさら足りなかったわけでもないと思う。そこには明らかに、透析をめぐる医療システムの問題があった。
- 現在、日本では約35万人が透析を受けている。人口比では台湾、韓国に次いで世界3位、まぎれもない透析大国である。
- 透析の医療費の総額は年間約1兆6000億円、日本の全医療費の約4% を占める。つまり透析という巨大な医療ビジネス市場が形成されている。
- ビジネス市場から外れる「透析を止める」という選択肢の先には、まともな出口が用意されていない。
- 血管も心臓も確実に劣化は進む。永遠に透析を続けることは不可能だ。誰にだって「透析上の寿命」は訪れる。それなのに、患者を死に向かって軟着陸させる体制がない。
- 透析の中止によって引き起こされる症状は、尿毒症をはじめ多岐にわたる。体内の水分を除去できないことによってもたらされる苦痛は、「溺れるような苦しみ」とも言われ、筆舌に尽くしがたい。突然死でない限り、透析患者の死は酷い苦しみを伴う。当然、緩和ケアの必要性が問われるところだ。
- 日本の緩和ケアの対象は保険診療上、「がん患者」に限定されている。死が目前に差し迫る透析患者であっても、ホスピスに入ることもできない。
- WHO(世界保健機関) は、病の種類を問わず、終末期のあらゆる患者に緩和ケアを受ける権利を説いているが、日本ではそうなっていない。
- 透析患者を抱える家族の方には、ぜひ一度でもクリニックの様子を見てもらえたらと思う。透析患者は孤独だ。
- 「将来、透析になるかもしれない」と言われた人には、声を大にして伝えたい。食べ物に気を付ければ、透析を導入する時間を先延ばしすることができる。
- カリウムが突然死を招きかねないミネラルならば、リンはじわじわと身体を痛めつける。
- 昔話の怪談で墓場のシーンに青白い炎がよく浮かぶが、あの火の玉の正体は、遺体に残ったリンが燃えるものらしい。
- 健康な人なら、必要以上に摂取したリンは腎臓でろ過して尿として排出できる。透析患者の場合、1回の透析で引ききれるリンは透析前のだいたい3分の2。ということは摂取量が多ければ、リンの血中濃度はだんだん高くなる。
- 血中のリンが増えると、体内のカルシウムがリンと結合する。そのため血中のカルシウムが減少する(低カルシウム血症)。するとカルシウムの濃度を維持しようと、副甲状腺ホルモンが異常に働く。リンが副甲状腺を刺激し続けると、副甲状腺は 腫 大 し、骨からカルシウムを血中へどんどん放出し、骨や歯がもろくなる。
- 良質のタンパク質と密接にかかわるリンの管理を厳密にやりすぎると、大事な筋肉を失い、「フレイル(健康と要介護状態の中間で、心身が衰えること)」の原因になる。こちらを立てればあちらが立たずで、透析患者の栄養管理は本当に難しい。
- 1ヵ月の透析には約 40 万円の費用がかかるといわれるが、手厚い医療費の助成制度があり、患者の自己負担は最大でも月2万円に抑えられていた
- 2022年末の統計では、 10 年以上の透析歴をもつ患者は 27・6%、3人に1人の割合に迫る。1992年には1% に満たなかった透析歴 20 年以上の患者も8・6% に増加
- 2020年の世界保健機関の集計では、日本の臓器移植件数は世界 42 位、先進国では最低レベルだ。
- 腎移植の「平均 10 年」という待機期間も、2023年には 14 年8ヵ月まで延びている。
- 腎移植についても、原則ドナーとして認められるのは、血縁者では6親等以内。非血縁者では配偶者と姻族(配偶者の血族など) 3親等以内
- 移植腎で40年を迎える、移植患者の希望の星ともいえる先輩からは、「脱水を防ぐため、とにかく水分をしっかり取ることが大事」との助言を受けた。脱水は腎臓を傷める。
- 腎臓の病には「安静、保温、栄養」が大事といわれる。その言葉どおり、週末に自宅でゆっくり横になっている時間が長いほど尿量は顕著に増えた。
- 災害が起きるたび透析患者の死亡が報道されるように、透析患者は災害弱者の筆頭にある。
- 難病を抱える大きな悲劇の中にありながら、クローズアップで見れば喜劇の連続だった。いや、小さな喜劇を必死に探し出し、死へと向かう恐怖をやりすごしていたのかもしれない。
- 医師の雰囲気が明るい、というのは、気が滅入ることの多い透析患者にとって大事なこと
- 透析を止めれば、1週間内外で死んでしまうと聞く。身体に毒素が溜まって尿毒症の肺水腫を発症すれば、溺れ死にするように苦しいらしい。透析患者にとって「尿毒症」は震え上がるほど怖い言葉だ。
- もし意識がなくて、身体を動かせない状態であるならば、いったい何のために透析をするのだろう。
- 透析を行うためには、これだけ大勢のスタッフが懸命に働いてくれる。それなのに、透析の終わりについては、誰も納得のいく解を示してくれない。
- 林たっての希望で、口腔ケアの技士2人が初めて病室に来てくれた。「僕は今日、入院してから初めて、自分がしてほしいことをしてもらえた気がします」
- のちの取材で、別の大学病院の緩和医から、林のケースでは肌に貼るタイプの経皮吸収型の持続性疼痛治療剤が有効に使えたはずなのに処方されていないのが不思議だと指摘を受けた。
- 病院の使命は救命。だとしても、死にゆく患者はこうもあとまわしにされるものなのか。
- やはり透析患者の終末期の問題や、腎不全領域の緩和ケアについて書かれた書籍はほんの一冊も見当たらない。
- 医者って忙しすぎるんだよね。ごくわずかな例外を除いて、患者を看取るような働き方にはなっていない。だから彼らが看取りまでするなんて最初から無理、できないと私は思ってる。
- 死にゆく人の魂の言葉を受け止める。愛する人を見送る悲しみに寄り添う。それを緩和ケアと呼ぶのなら、そういうことをするにはきっと別の人がいるんだよ
- 透析見合わせから死亡までの期間は平均7・9 ± 12・1日で、中央値は3日、最頻値は2日だが、 38・8% の症例で透析見合わせの当日あるいは翌日に死亡していた。
- 死亡時に認知症を有していた患者は 35・6%
- 透析に来る、それだけで頑張っているんです。それなのに人生の最後まで、亡くなるギリギリまで透析に苦しみながら死んでいかないといけないなんて、辛いですよ
- 透析医も今後、鎮静とか麻薬性鎮痛剤の勉強をして、スタンダードに使えるようにしていかないといけない
- 今や、がん以外の疾病で亡くなる人のほうが圧倒的に多い。がん医療で培ってきた緩和ケアの人材やノウハウを、他の疾病へと展開していくタイミングが来ているのではないか。
- 日本透析医学会は2020年、〝終末期ではない患者〟に対しても「条件付きで治療中止を容認する方針」を決めた。
- 過剰な延命措置を行わない「尊厳死」には、多くの人が賛同する。問題は、尊厳死という選択の先に、まるで安らかな死があるかのように錯覚されている
- 多くの場合、緩和ケアが機能しなければ、尊厳死を選んだ先にある死は必ずしも平穏なものにはなりがたい。
- 近年、終末期に過剰な治療を行わず、点滴などを最小限にして「枯れるように死ぬ」ことを理想とする提言をよく耳にする。
- 透析を止めれば水分が体内に溜まり、「枯れるように」亡くなることなど望めない。
- 衰弱がある程度すすんだ高齢者の場合、上手に透析を止めると、ほとんど苦しまずに逝ける。
- 日本の腹膜透析PDの患者数は透析患者全体の2・9%。片や日本と並んで「透析大国」といわれる香港は 69% で、7割に迫る。欧州やカナダが 20 ~ 30%、ニュージーランドが 30%、先進国の中では低めのアメリカも 10% を超えていて、日本では腹膜透析が極端に少ないことが分かる。
- 国内の血液透析の最大収容能力は 47 万8954人。実際の慢性透析患者数は 34 万7671人。つまり国内すべての患者が血液透析を選んだとしても、ベッドは 73% しか埋まらない状態にある。
- 腹膜透析PDは毎日行うため、2~3日おきに行う血液透析に比べて、腎臓の働きに近い。そのため血管など身体への作用が穏やか
- 透析を導入するにあたって理想的なかたちは、腎機能が残っている段階から腹膜透析PDを徐々に導入して透析を始め(PDファースト)、腎機能が無くなる段階で血液透析に移行し、終末期には再び腹膜透析PDに戻る(PDラスト) というものだ。
- 患者一人あたりの腹膜炎発症率は、1984年の1・1回/年から、0・2以下にまで下がった。
- 柴垣院長が、終末期に差しかかった血液透析患者を病院に送るのではなく、自宅に戻すため、腹膜透析PDを導入してから約 10 年。現在は同じビル内に在宅療養支援診療所を独立させ、平均 10 人の腹膜透析患者を診ている
- 益満さんは、自分たちがめざす医療の説明をするとき、「ナッジ(nudge)」という言葉を使う。そっと背中を押す、という意味で、医療者が患者に選択の自由を確保しながら、より良い医療に導く姿勢のことだ。患者にも同業者にも、そっと手を添えて導く。
- 「PDの現場は自宅ですから、ドクターよりナースが主役なんです。
- 死者たちは、語る声を持たない。終末期の透析患者が、尊厳に満ちた生と死を享受することのできる医療の実現に向けて、私もこの本を大切に育てていきたいと思う。