昨日、2月14日は、私の46回目の誕生日でした。
つまり、バレンタインデーが私の誕生日なのです。
バレンタインデーは、欧米では、男性も女性も、花やケーキやカードなど様々な贈り物を、恋人や親しい人に贈る日のようです。
しかし、1970年代後半(昭和50年代前半)、つまり私が小学校の高学年から中学生になるころに、女性が男性に親愛の情を込めてチョコレートを贈与するという「日本型バレンタインデー」になったようです。
そのため、私には寂しい思い出があります。
中学1年のとき、女子生徒がチョコレートを学校に持ってくることが問題になったのです。
学校側は、状況把握のため男子生徒だけを教室に集めました。
そして、先生は『全員机の上に顔を伏せろ、そして今日チョコレートをもらった人は手を挙げなさい』と言ったのです。
顔を伏せていても、人の気配は感じるものです。
何人もの人が、手を挙げたようでした。
正直、自分も手を挙げたいと思いました。
しかし、チョコレートは貰っていないので、挙げるわけにはいきませんでした。
自分の誕生日でありながら、とても複雑で情けない思いをしたものでした。
そんな経験からか、3年ほど前から、会社内でも経済的・精神的負担解消のため、義理チョコの制度も敢えて中止としました。
ちなみに、欧米では、日本に見られるような、ホワイトデーの習慣はないようです。
ところで、2月14日は、私の次女の誕生日でもあります。
予定日は1月の末日であったため、まさか一緒になるとは思っていませんでした。
しかし、待てど暮らせど生まれる気配がありません。
産婦人科の教科書を読み直すと、予定日をあまり越えると、合併症もあり不安になったものです。
そして、予定日を2週間おくれて、私の誕生日に4200gの巨大児として生まれたのです。
生まれたときは、群を抜いて大きかったのですが、現在は身長154cmと、友達の中でも小さい方ですから成長とは分からないものです。
昨日で、16歳になり、自分と同じ誕生日で、血液型もB型と、まるで自分を見ているように自由奔放です。
好き嫌いを、はっきりと言うところも、全く自分と同じです。
しかし、そんな彼女も、自分が薦めた、喜多川泰さんの『母さんのコロッケ』や、白駒妃登美さんの『人生に悩んだら日本史に聞こう』を素直に読んでくれました。
親として、とても嬉しいものでした。
いずれにせよ、多くの方々のお陰で、無事46歳になれた事に感謝するとともに、16歳まで健やかに育ってくれた次女に感謝します。