バレンタインデーの寂しい思い出【認知症専門医の中学時代】

バレンタインデーの寂しい思い出【認知症専門医の中学時代】
2020-02-14

本日、令和3年2月14日は、私の55回目の誕生日です。つまり、バレンタインデーが私の誕生日なのです。バレンタインデーは、欧米では、男性も女性も、花やケーキやカードなど様々な贈り物を、恋人や親しい人に贈る日のようです。しかし1970年代後半(昭和50年代前半)、つまり私が小学校の高学年から中学生になるころに、女性が男性に親愛の情を込めてチョコレートを贈与するという「日本型バレンタインデー」が登場し、それ以後現在までこの日が特別な日ということになっているようです。

そのため、私には寂しい思い出があります。中学1年のとき、女子生徒がチョコレートを学校に持ってくることが問題になったのです。学校側は、状況把握のため男子生徒だけを教室に集めました。そして、先生は『全員机の上に顔を伏せろ、そして今日チョコレートをもらった人は手を挙げなさい』と言ったのです。顔を伏せていても、人の気配は感じるものです。何人もの人が、手を挙げたようでした。正直、自分も手を挙げたいと思いました。しかし、チョコレートは貰っていないので、挙げるわけにはいきませんでした。自分の誕生日でありながら、とても複雑で情けない思いをしたものでした。そんな経験から私が理事長を務める医療法人ブレイングループでは、会社内でも経済的・精神的負担解消のため、義理チョコの制度も敢えて中止としました。

ところで、2月14日は、私の次女の誕生日でもあります。予定日は1月の末日であったため、まさか一緒になるとは思っていませんでした。しかし、待てど暮らせど生まれる気配がありません。産婦人科の教科書を読み直すと、予定日をあまり越えると、合併症のリスクも大きくなるとのことで不安になったものです。そして、予定日から2週間おくれて、私の誕生日に4,200gの巨大児として生まれたのです。生まれたときは、群を抜いて大きかったのですが、現在は身長154cmと、友達の中でも小さい方ですから成長とは分からないものです。本日で25歳になり、同じ誕生日で、血液型もB型と、まるで自分を見ているように自由奔放です。好き嫌いをはっきりと言うところも、全く自分と同じです。


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いずれにせよ、多くの方々のお陰で無事55歳になれた事に感謝するとともに、25歳まで健やかに育ってくれた次女に感謝します。

 

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