先日、JR高島屋で、没後20年中川一政展~独行此道(ひとりこのみちをいく)~を見て来ました。
明治から平成にわたって活動を続けた中川一政は、『白樺』によって紹介されたゴッホ、セザンヌに啓発されながら絵画の道へ進みました。
しかしその画業は、美術学校で学ぶことも特定の師につくこともない、独学によるものでした。
絵画も油彩にとどまらず岩彩・墨書にまで及び、篆刻・陶器・挿画までも一流の域にまで達しており、1991年に97歳で亡くなる直前まで、創造へのエネルギーは衰えることを知らなかったようです。
数年前に、三越の大絵画展ではじめて、中川一政の油絵に出会ったときは、理由もなく“快”と感じました。
良く絵画の話になると、良く分からないといわれる方が多く見えます。
やはり学生時代に美術の時間に絵を見て、くだらない感想を述べる必要があった弊害かと思います。
そんな難しい事を考えずに、『食事をしたときの美味しいか、普通か、不味いか?』と同じように考えてはいかがでしょうか?
そこに理由は不要ですし、逆にそこに理由が必要な評論家は不幸です。
このように肩の力を抜いた絵画の鑑賞をお勧めします。
尚、中川一政さんの生年月日が自分と同じ2月14日ということから、何故か親しみを持ち、いまでは2点ほどお預りしています。
毎日、好きな絵に囲まれることは、とても心地よいものです。
中川一政さんは、文章でも素晴らしい言葉を多く残しています。
その中でも「私は、よく生きた者が、よく死ぬことが出来るのだと思っている。
それは良く眠ると同じ事で、そこになんの理屈も神秘もない。」はとても大好きな言葉です。
常に死への覚悟の元、真剣に生きたいと思っています。
私は、ブログをフェイスブックにも同時に掲載しています。
絵の話になると、極端に“いいね”ボタンの数が減っています。
絵に関心を持つと、多くの場所に絵が掛けられている事に気がつきます。
同じ人生、全く絵に関心を持たずに終わる事は勿体ないと思います。
毛嫌いせず、多くの方に絵に関心を持ってもらえれば嬉しいです。