先日、偶然真夜中にNHKの再放送を見ました。
あまりに感動して一人で涙したので紹介します。
番組は俳優:浅野忠信の祖父Willard Overingの話から始まる。
オランダ系アメリカ人のWillardは,農家の実家が干ばつのため苦しく高校に行けず,15歳の時に太平洋戦争勃発,18歳で陸軍に入隊し料理兵となる。
一方,浅野の祖母イチ子は幼少期を満州の大連で過ごし,芸者になる。
24歳で満鉄の食堂車給仕長だった男性と結婚するが8年で離婚。
ソ連軍の侵攻により故郷の広島に戻る。
仕事を求め横浜に行ったイチ子は,1949年に進駐軍として来日していたWillardと知り合い結婚,浅野の母,順子を出産。
Willardは1950年に始まった朝鮮戦争のために順子の顔を見ることができずにいたが,ようやく対面する。
このあたりで,スタジオに順子本人が加わる。
4歳のころ父とクリスマスツリーの飾り付けをしたことを覚えているという。
しかし,ほどなく日本にいた進駐軍の撤退が始まる。
「3人でアメリカに行こう」と誘うWillardに対して,言葉が通じない土地で順子を育てられるか不安に駆られるイチ子。
渡米手続きをしていたが,直前で「行けない」と伝える。
イチ子はWillard,順子と3人で撮った写真にはさみを入れ,Willardの部分を切り取る。
一人で順子を育てる決意の現われだろうというナレーションが入る。
浅野は,イチ子はWillardの部分も捨てずにずっとしまってあったことから,アメリカでのWillardの無事も願う思いもあったのではないかと推測する。
Willardは帰国して4年後,2人の連れ子を持つ地元の女性と結婚。
軍の食堂でまじめに働き最後には優秀な給仕長として賞をもらう。
1度だけ義理の息子に娘の順子のことを話したというが,周りに日本での結婚のことをほとんど明かさないまま1992年に65歳で亡くなる。
一方,イチ子もWillardのことをほとんど話すことなく2004年に死去。
ただ,浅野が生まれた時に「目元がおじいちゃんに似ている」と言っていたという。
正直,ここで終わっていれば,戦後よく見られたであろう米兵と芸者との儚い恋とその結果生まれてきた子どもの苦しみ,という,平凡な物語になってしまっていただろう。
大変な時代に女手一つで順子を育てあげたイチ子の苦労を考えると,帰国後別の女性との幸せな結婚生活を送ったWillardが少し恨めしくも思えてくる。
しかし,このあとのたった1つのエピソードが,この話を非凡なものにしている。
死後Willardの持ち物の整理をしていた義理の息子は,Willardが生前肌身離さず持っていた財布を見つけた。
その財布の奥には,ただ1枚,ぼろぼろになった順子の写真が入っていたのだ。
当然,スタジオの浅野と順子の顔を大写しにするカメラと,号泣する親子。
浅野は口をわななかせながら,「大きな愛を感じた。祖父は母のことを忘れたことはないと信じていたが,それが証明された」と言う。
唯一の娘の写真を誰にも言わずに、常に持ち続けた事実が、どんなナレーションよりも感動を誘いました。
偶然出会った、素晴らしい番組に感謝です。