【お薦め本の紹介】訂正する力

【お薦め本の紹介】訂正する力

本の中に書かれている、『「かわいげ」を手に入れると、予想と異なった行動や発言をしてもなんとなく許される。あるていどの年齢になってくると、そういう力を手に入れないと生きるのが難しい。訂正する力は、かわいげを身にまとう力でもあります。』には納得です。

  • ものごとをまえに進めるために、現在と過去をつなぎなおす力。それが本書が言う「訂正する力」です。
  • 老いるとはなんでしょうか。それは、若いころの過ちを「訂正」し続けるということです。
  • 誤る(あやまる) と謝る(あやまる) はもともと同じ言葉です。いまの日本人は、誤りを認めないので謝ることもしないわけです。
  • 第一歩として必要なのが、まちがいを認めて改めるという「訂正する力」を取り戻すことです。
  • 訂正する力は、「リセットする」ことと「ぶれない」ことのあいだでバランスを取る力でもあります。
  • リセットすることもぶれないことも幼稚な発想です。
  • 訂正するとは、一貫性をもちながら変わっていくことです。
  • ーロッパの強さは、この訂正する力の強さにあります。それはきわめて保守的でありながら同時に改革的な力でもあります。ルールチェンジを頻繁にすることによって、たえず自分たちに有利な状況をつくり出す。それなのに伝統を守っているふりもする。それはヨーロッパのずるさであると同時に賢さであり、したたかさなのです。
  • 「聞く力」は、相手の話を聞き自分の意見を変える力、つまり「訂正する力」でもあるはずです。けれども、訂正することができないので、聞くこともできない。
  • だれの意見も変わらない議論なんて、なんの意味もありません。
  • 訂正できる土壌をつくることはとても大事です。「ひとの意見は変わるものだ。われわれも意見が変わるし、あなたがたも意見が変わる」という認識をみなで共有しなければなりません。
  • 「論破」を目的としたディベートとは似て非なるものです。
  • ぶれなくてどうするのでしょう。世の中はどんどん変わっているのだから、柔軟に対応してくれないと困ります。
  • 伝統を継承するうえでは、そういう訂正の感覚が大事です。いろいろと変わっていくけれど、肝心なところは守るのだと思っていればいいのです。
  • 純粋さだけでは人間は生きていけません。そもそも年齢を重ねればだれでも変化する。「訂正」する。純粋さを諦めて、変化を肯定することが大切です。
  • SNSは本質的に対話に向きません。訂正する力にも向きません。そういう意味で、動画の誕生は大きい。日本の硬直した言論空間を打破するために、動画はいい手段になると思います。
  • インテリがインテリと会って話す内容は、国境を越えても驚くほど同じです。開かれた社会を要求しているはずのリベラルが、じつはもっとも閉じている。
  • ぼくは、人間と人間は最終的にわかりあえないものだと思っています。できるのは「理解の訂正」だけ。「じつはこういうひとだったのか」という気づきを連鎖させることだけ。
  • 日本では、それがすぐに、ゼロかイチか、過去を否定するか肯定するか、リセットするかなにも変えないかの対立の議論になってしまう。少しでも動こうとすると両方の勢力から批判される。そういう風土を変えなければなりません。
  • きわめて大雑把に言うならば、一方には「すべて諦めてなりゆきに任せるしかない」という親鸞的な思想(自然=非政治の思想) があり、他方には「がんばって国を守るぞ」という日蓮的な思想(作為=政治の思想) がある。
  • 日本は極端なものを共存させている国です。それは思想だけの話ではありません。たとえば日本の「美」といってもふたつの傾向がある。
  • 日本はそういう意味では、すごくリベラルなようでいて本質は保守的だとも言えるし、逆にすごく保守的なようでいて本質はリベラルだとも言える。
  • 訂正する力の歴史を思い出すことが、失われた 30 年を乗り越え、この国を復活させるひとつのきっかけになる。
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