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『棺桶まで歩こう』(萬田緑平)を読み終えて、いちばん胸に残ったのは、死を遠ざけるための根性論でも、医療批判でもなく、「人が最期まで“自分の人生”を生き切るための、ものすごく具体的な提案」でした。
その中心にある合言葉が、あまりにストレートで、だからこそ効く。
「人間というものは、歩いている限りは死にません。」
もちろん文字通り“不死”という意味じゃない。けれど著者は在宅医としての実感として、そして臨床の知恵として、「歩ける」ことを生きる力の指標に置いています。歩行は単なる移動手段ではなく、意志・気力・体幹・呼吸・嚥下・生活の自由度まで、全部を背負っているから。
1.歩幅と余命は、どこかでつながっている
本の冒頭からグッと掴まれるのが、次の言葉です。「僕は、歩くスピードや歩幅で、その人の余命がほぼわかると考えています。」
医学的な“検査値”より、今日の一歩。廊下をどう歩くか、椅子から腕の力を使わずに立てるか、ちょこちょこ歩きになっていないか。著者は、生活の中の動作を“寿命のものさし”として見ています。
「寿命は自分で測って。寿命って どれくらい歩けるか、どれくらい立っていられるか なんだから、測れるんだよ。ちょこちょこ歩きじゃそろそろだね」
そして痛烈なのがこれ。
「『ちょこちょこ歩き』では、なぜいけないのか。歩幅と寿命は相関するのです。『ちょこちょこ歩きは歩けなくなる手前だから、棺桶に入る一歩手前。『棺桶歩き』だよ』」
言い方は強い。でも、怖がらせたいんじゃなくて、励ましたいのだと思うんです。「まだ戻れる」「まだ伸ばせる」と。
2.歩くのに必要なのは筋力より「根性」と「気力」
読んでいて意外だったのは、著者が“筋トレ万能”と言わないことでした。もちろん筋肉は大事だし、後半には具体的な鍛え方も出てくる。でも核心はむしろここ。
「歩くために必要な力は、実は『根性』と『気力』です。決して筋力だけの問題ではなく、自分のがんばりで歩くことができるのです。そして『がんばれる』ということは気力があること、つまり脳の若さです。」
だからこそ、こんなエピソードが刺さる。
「頭がしっかりしている、気力のある人は、寝たきりがいやだから歩こうとします。亡くなる2時間前まで歩いていた、50歳の患者さんがいました。」
ここで著者は、歩けなくなる理由を“足の問題”に閉じません。
「筋力がなくなったから歩けなくなったのではなく、脳が止まったのです。」
生きる最後の局面で、身体は“省エネモード”に入り、できることが減っていく。そこで大事なのは、体を無理やり元通りにすることより、「その人がその人らしくいられる条件」を守ることなんだ、と読めました。
3.「緩和ケア」は、あきらめじゃなく“上手に生きる技術”
本の中で何度も語られるのが、緩和ケアの誤解です。
「『緩和ケア』とは、がんにまつわる痛みや心身のつらさをできるだけ和らげることです。」
つまり、人生の終盤を“我慢大会”にしないための医療。痛みを放置すると、それ自体が体を弱らせる。早い段階から痛みを整えることが、結果的に「寿命いっぱいまで生きる」土台になる、という視点がある。
そして、治療に関する価値観も揺さぶられます。
「抗がん剤を使い続けるのと、やめた場合とではどちらが長く生きられるのか。僕は、やめた方が長く生きられると考えています。」
これは誰にでも当てはまる“結論”というより、「本人の望む生き方と、治療の代償を天秤にかける視点」を取り戻そう、という提案に感じました。治療する・しないではなく、“どう生きたいか”から逆算する。
4.看取りに必要なのは「がんばれ」より「ありがとう」
終末期の場面で、家族がつい言ってしまう「がんばれ」。それを著者はそっと、でもはっきり止めます。
「僕は、『『がんばれ』はもういいでしょう。『ありがとう』と送ってあげましょうよ』と言ったそうです。」
ここが、この本の温度だと思う。人は弱っていく。みんな、本当はがんばりたい。でも、
「みんな、がんばりたいけれど、がんばれないのです。」
だからこそ、最後に必要なのは“追い立てる声”じゃなく、“認める声”。
「多くの人間は、『がんばれがんばれ、そんなんじゃダメだ』と言われ続けて死んでいきます。僕はそうではなく、『ほめてあげよう』と家族に言います。」
「ありがとう」と言える時間、一緒に昔話をする時間、写真を見る時間。そういう小さな行為で、心の状態は上げられる。身体機能が落ちても、“心の元気”は育てられる。著者が掲げる方針――
「僕の治療方針は、『身体の元気より心の元気』です。」
これが一貫しているから、読後に変な絶望が残らないんだと思います。
5.“自然な最期”は、墜落じゃなくソフトランディング
終盤に出てくる、飛行機のたとえが忘れられません。故障した飛行機が安全に着陸するために燃料を捨てるように、人間も寿命が近づくと自然に食べられなくなり、ゆっくり“高度を下げて”いく。そこを無理に点滴や処置で押し上げると、苦しさが増えやすい――という見立てです。著者は、「穏やかな死」を邪魔する要因として、医療だけでなく家族の不安にも触れます。だからこそ、死をタブーにしない。話しておく。決めておく。書き残しておく。
そして最後に残るのは、こんな言葉です。
「生まれたときは『おめでとう』、死ぬときには『ありがとう』」
死を“敗北”として扱うのではなく、人生を走り切ったことへの感謝として迎える。そのために、今日できることがある。それが「歩く」という、あまりにも現実的で、あまりにも尊い行為なんだと思いました。
6.今日の自分にできる、いちばん小さな一歩
本を閉じてから、私の中に残ったメッセージはシンプルです。
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歩けるうちは、生き方の選択肢が増える
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歩くことは、筋力だけじゃなく気力(=脳の若さ)でもある
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最後の時間は「がんばれ」より「ありがとう」で満たせる
だから今日、少しだけ歩幅を大きくしてみる。椅子から立つとき、腕に頼りすぎないでみる。背筋を伸ばして座る時間を増やしてみる。そんな小さな積み重ねが、いつかの自分の“ソフトランディング”を助けてくれるのかもしれません。
〈死ぬまで歩くぞ!…棺桶なんかに入りたくなかったら、歩こう!〉
棺桶まで歩く。
それは、怖い言葉じゃなくて、「最後まで自分の足で、自分の人生を運ぶ」ための、いちばん優しい合言葉でした。


認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。