私は、男性にしては早く25歳で親になりました。その時、高校時代からの親友も3人そろって親になりました。その3人とは学生時代、意味もなくダラダラと時間を過ごしたものです。何時間も一緒にいて話すことが尽きないことが不思議でした。ある時に、親友の一人が気が付きました。『俺たちの話って、お金・車・女のローテションじゃない?』。時代は、バブル絶頂です。何時間も喋っていても、この程度の内容だったのです。
そんな3人が25歳で親になって集まった時に、誰ともなく、『子供のためなら死ねるような?』と投げかけました。残りの2名も、『そんなこと、当たり前だろ』です。凄いと思いませんか?“お金・車・女”の話しかしていなかった仲間が、誰から教えられたわけでもなく、『子供のためなら死ねる』です。
自分は医師ですから、その根拠について考えました。子供の遺伝子の半分は自分です。子供は“半分自分”とも言えます。ですから遺伝子学的に言えば、生殖活動を終えた人間はいつ死んでも良いのです。もし子供と二人で海で溺れ、浮き輪が一つしかなかったとします。その時には、何も考えずに子供に浮き輪を渡します。まさに“愛”です。もし、その時の相手が配偶者や恋人であれば、“本当は自分が生きたいけど、自分だけ生き残ると何を言われる分からない”。だから浮き輪を譲ります。多くの女性たちからは非難の声が聞こえそうですが、これが真実です。子供への”愛“とは違いますが、浮き輪を譲ることは一緒ということでお許しください。種族保存のためにはやむを得ないのです。
こんな25歳で親になった男たちですが、いよいよ子供達も25歳になろうとしています。孫でもできれば、どんな言葉が飛び出すのでしょうか?今から楽しみです。