2021年3月1日107歳で天寿を全うされた、私の大好きな美術家の一人、篠田桃紅(しのだ・とうこう)さんが103歳の頃に書かれた本です。最近は増えたとはいえ、100歳を超えて自ら情報発信されている方は、殆どいらっしゃいません。100歳を超えた方の感性が、とても新鮮な1冊です。内容から一部紹介します。
- 私には死生観がありません。 考えたところでしようがないし、どうにもならない。どうにかなるものについては、私も考えますが、人が生まれて死ぬことは、いくら人が考えてもわかることではありません。
- この歳になると、誰とも対立することはありませんし、誰も私とは対立したくない。百歳はこの世の治外法権。
- 自由という熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和。
- 二本の線が支え合わないと成り立たない「人」とは違い、相古来の甲骨文字を見ますと、「人」という字は、一人で立っている。
- 百歳を過ぎて、どのように歳をとったらいいのか、私にも初めてで、経験がありませんから戸惑いがあります。
- もちろん変わらないものもありますが、過去を見る自分の目に変化が生まれました。
- 一方で、未来を見る目は少なくなります。若いときはたくさんの未来と夢を見ていました。あそこへ行ってみたい、あれを食べてみたい、こんな人に会いたい、こういう時間を過ごしたい。いろんなことを思います。しかし長く生きると、ある程度のことは満たしてきましたので、自分の目は未来よりも過去を見ていることに気づきました。
- 食事、睡眠、仕事、家事労働、人間関係など、あらゆる面で、その人に合ったいい加減さを保つことができれば、もう少しの長生きを望むことができるのではと思うこのごろ
- 自分の生き方を年齢で判断する、これほど愚かな価値観はないと思っています。
- 人は老いて、日常が「無」の境地にも至り、やがて、ほんとうの「無」を迎える。それが死である、そう感じるようになりました。
- 無駄にこそ、次のなにかが 兆しています。用を足しているときは、目的を遂行することに気をとらわれていますから、兆しには気がつかないもの
- 時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。無駄のある人生は、1+1を 10 にも 20 にもすることができます。
- 美術館で絵画を鑑賞するときも、こういう時代背景で、こういうことが描かれていると、解説を頭に入れます。そして、解説のとおりであるかを確認しながら鑑賞しています。しかし、それは鑑賞ではなく、頭の学習です。鑑賞を心から楽しむためには、感覚も必要。