先週紹介した、「疼くひと」の続版です。86歳の男性との恋愛を描いています。決して無理がなく、とても心地よい良い物語になっています。順番としては、「疼くひと」を読んでからから「最後のひと」を読むと、まるでドラマの続編を見たようなお得感があります。ちなみに、「疼くひと」と「最後のひと」が合わせて10万部を超えたそうですから、世間の関心の高さが分かります。
- もっとも長生きした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、 もっともよく人生を体験した人
- 燿子は、そんな社会に 抗うかのように、日々の暮らしでは「年寄りには無理」と思われていることが得意である。
- どうしてこの世は、女性の自慰行為が、これほどタブー視されているのだろう。 自分も若い頃はずっと、世間の常識や、刷り込まれた禁忌の意識に縛られていた。
- 性にまつわることが、恥ずかしいことでも 卑しむべきことでもなく、ときには美しいものだと知ったのは、かなり大人になってからのこと
- 胸ときめく誰かと出会い、肌と肌を重ね合わせて、肉体と精神のよろこびをともにする行為が〈罪〉ではないと思えるようになったのは、四十歳を目前に離婚して、人生のことがらを自分で考え、自分自身の判断で行動できるようになってから
- 人は老いても、セックスをする相手がいなくなっても、性欲までもきれいさっぱりなくなってしまうわけではない
- 人は誰でも、そうした別れの儀式に立ち会いながら、愛する者の〈死〉という現実を受け止めていく。誰にとってもかけがえのないグリーフワークの時間が、得体の知れないウイルスによって奪われてしまったのだ。
- 高齢になればなるほど、男女の棲み分けがはっきりしていく。それが日本らしい老後の過ごし方なのかもしれない
- 若い頃から、料理をはじめ掃除も洗濯も、家事の一切を抵抗なくしてきたばかりか、常にセンスのいいファッションで身を整えている八十六歳。 燿子はこれまで、そんな男性に会ったことがなかった
- しゃべれる関係というのは、本質的な対等さがなければ生まれないのですよ。
- 誰かを愛するということは、その人が経てきた人生を、丸ごと受け入れることではないのか。それが晩年を迎えた者たちの出会いではないのか
- 子は、もうじき九十歳を迎える理一郎が、男と女の「対等なセックス」を求める人であることが、彼を「最後のひと」と考える、いちばんの理由となった。 仙崎理一郎は、女性を支配しようとする男ではなかった。 人生の最終ステージで、そんな男と出会えたことを、燿子は奇跡のように思えた