垣谷美雨さんの『病棟シリーズ』──『後悔病棟』『希望病棟』『懲役病棟』『絶縁病棟』──をすべて読みました。題名に病棟とついていますが、描かれているのは「病気」や「死」だけではありません。そこにあるのは、人の心の弱さややさしさ、そして“生きるとは何か”という問いです。
在宅医療に携わる私にとって、このシリーズはまるで現場の物語のようでした。
患者さんや家族との関わりの中で感じる思いが、登場人物たちの言葉や行動の中に生きています。
目次
1.『後悔病棟』──もう一度やり直せるなら、誰に会いたいですか?
第1作『後悔病棟』は、末期がんの患者たちの“心の声”が聞こえる不思議な聴診器を拾った若い医師・早坂ルミ子の物語です。聴診器をあてると、患者の胸の奥から「夢をあきらめた」「家族に感謝を言えなかった」といった後悔が聞こえてきます。ルミ子は聴診器の力で、患者がもう一度“過去をやり直す”手助けをします。
在宅医療の現場でも、最期のときに「もしあのとき…」とつぶやく方に出会います。
けれども、人は後悔を抱えたままでも穏やかに旅立つことができる。『後悔病棟』は、そのことを静かに教えてくれる温かな物語です。
2.『希望病棟』──心の声に耳を傾けることで、人は変われる
第2作『希望病棟』の主人公は、神田川病院に赴任したばかりの女医・黒田摩周湖。
ある日、病院の中庭で拾った聴診器を使うと、患者の“心の声”が聞こえてくるようになります。彼女は、母に捨てられた桜子と、やり直しを願う貴子という二人の末期がん患者と出会い、彼女たちの想いに寄り添っていきます。
病気が治らなくても、希望は失われない。残された時間の中で「どう生きるか」を見つめ直すことこそ、人生の希望なのだと気づかされます。『希望病棟』は、そんな“心の回復”を描いた物語です。
3.『懲役病棟』──罪を抱えた人にも、癒しの時間がある
第3作『懲役病棟』の舞台は女子刑務所。神田川病院から派遣された“金髪女医”太田香織と看護師・松坂マリ江が、刑務所で診療を担当します。不思議な聴診器によって、受刑者たちの心の声が聞こえるようになり、彼女たちが罪を犯すまでに背負ったDVや貧困、孤独といった過去が明らかになります。
「懲役」とは罰ではなく、立ち直るための時間なのかもしれません。人は過ちを犯しても、誰かに理解されることで再び前に進める。医療もまた、人を裁くのではなく、支える営みなのだと感じさせられます。
4.『絶縁病棟』──切るべきは病ではなく、しがらみかもしれない
シリーズ最終作『絶縁病棟』の主人公は、三度の離婚を経験した少し風変わりな女医・桐ヶ谷キワミ。彼女は趣味を楽しみながら働いていますが、ある日、体調不良を訴える70代の女性・熊野佐奈枝を診察することになります。不思議な聴診器を使うと、体の不調の裏に“人間関係の疲れ”があることが分かります。
この物語は、「切るべきなのは病巣ではなく人間関係」という言葉がテーマです。誰にも言えないストレスや孤独が、心と体をむしばんでいく。時には“距離を置く勇気”こそが、人を救うのだと教えてくれます。
在宅医療でも、「どこが悪いのかわからない」という訴えの裏に、心の痛みが隠れていることがあります。『絶縁病棟』は、そんな“見えない不調”に寄り添う優しい物語です。
5.結び──病棟を出てこそ見える“生きる尊さ”
4つの物語を通して描かれているのは、「病棟」ではなく「人間」そのものです。医療、家族、刑罰、人間関係──どの作品も、私たちの生き方を映す鏡のようです。在宅医療の現場では、病院を出たときに初めて患者さんが“自分の人生”を取り戻す姿を見ます。家族の笑い声、ペットの鳴き声、畳の匂い──そんな日常の中にこそ、人を癒す力があります。
垣谷美雨さんの『病棟シリーズ』は、私たち医療者に問いかけます。「あなたは病気を治しているのか、それとも人を支えているのか」と。


認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。