母親自慢

先回の父親だけでは、不公平なので母親自慢もさせてもらいます。

母親は、現在では数少ない完全な専業主婦です。

そのため、自分ではお金が稼げないからと言って、母親自身と姉の服はすべて自身で作ってしまう技術を持っていました。

既成の服を見ては、アイデアを盗み、自分で生地を購入して、最新のファッションの服を作ってしまう技術は、子供心にも”凄い“と思ったものでした。
母親に対しては、主に3つの感謝をしています。
① 基本的生活習慣の確立:母親は、決して子供達を朝起こす事はしませんでした。

寝坊しようが、遅刻しようが決して起こしてはくれません。

そのため、我が家は全員、自分で責任を持って起床していました。

起きてからは、きちんと母親が作った朝食を食べ、余裕を持って出かけたものでした。

この事は、今でも基本的生活習慣として自身に受け継がれています。

とくに、早起きが全く苦でない点は、朝起きられない人たちを見ては、改めて感謝しています。
② 丈夫な身体:母親は、とにかく一生懸命食事を作ってくれました。

特に大学受験の際などは、母親は『自分は食事をつくるこしか出来ない』

といって、栄養のあるものを作ってくれた記憶があります。


長谷川嘉哉監修の「ブレイングボード®︎」 これ1台で4種類の効果的な運動 詳しくはこちら



当ブログの更新情報を毎週配信 長谷川嘉哉のメールマガジン登録者募集中 詳しくはこちら


お陰で、今でも朝から晩まで休みなく働くことが出来る体力を持つに至っています。

そういえば、大学合格時に、知り合いの方から電話を頂き

『受験を頑張れた身体を産み、育ててくれた両親に感謝しなさい』と言われた事、今でも覚えています。すごく倫理的な言葉ですが・・
③ 義父の介護:自分が小学校高学年から中学にかけて、我が家には呆けた祖父がいました。

食事を食べても、忘れてしまい、食べていないという状態。

そんな祖父の介護を献身的にしていました。当時は、介護保険も無く本当に大変だったと思います。

ボケが進んだ祖父は、最期は実の子供達の顔も忘れてしまいましたが、母親の顔だけは覚えていました。

介護していた母親に尊敬の念をもったものでした。

そんな体験から、自分自身医師を志し、認知症の専門医になりました。

人間何がきっかけになるか分からないものです。
改めて両親、そしてご先祖様に感謝です。

長谷川嘉哉監修シリーズ