先日、患者の家族として主治医の説明を受けました。患者は劇的に症状が改善し家族としては心より安堵し、喜んでいました。そんな時、経過説明で主治医の説明を受けました。しかしなぜか、喜ばしい状況であるにも関わらず主治医の説明を受けると、患者・家族とも、落ち込んでしまいました。
その原因について考えると、優秀な医師であるがゆえの原因が分かってきました。今回のケースは医師が優秀であるほどおこりやすい現象です。患者さん・家族として優秀であるが故の医師の特性を知っておくことが身を守ることにつながります。今回の記事は、医師として患者の家族になった経験から「優秀な医師はなぜ患者さんを落ち込ませるのか?」を説明します。
目次
1.優秀な医師ゆえの特徴とは
優秀な医師には以下のような特徴があります。
1−1.問題点に着眼して、そこを指摘する
経過説明での主治医の先生は、まず現状の問題点をいくつも指摘されます。決して劇的な改善を評価することも、喜ぶこともありません。現状での「できないこと」、「今後のリスク」だけを淡々と説明します。聞いているうちに、患者・家族とも喜びも半減して、不安ばかりがつのってきました。
主治医の説明が終わってようやく、看護師さんやセラピストさんから、「凄く良くなりましたね!」と声をかけてもらい、皆で喜びを分かちあうことができ、患者・家族も安堵しました。
1ー2.説明の順番が悪い
34年の医師の経験からすると、主治医の問題点はすぐにわかりました。要するに説明する順番が悪いのです。まずは、良くなったことを患者さん・家族に伝え一緒に喜ぶべきです。そのあとで、「でもこういった問題点がありますので、それに対して注意・対策をしましょうね」といった指摘をするべきです。この先生はいつもこの順序で患者さん・家族に説明しているかと思うと心配になってしまいました。
1ー3.優秀の視点が違う
どうも優秀な医師になればなるほど、患者さんと共感する以上に、「専門職としての視点」に注意を置いているようです。簡単に言えば、「皆は、良くなったことに喜んでいるけど、実はこんな問題点があるんだよ」といった、一種特権的な視点で患者さんに対しているようなのです。
2.医学部の難化も原因?
こういった優秀な医師による、患者さんのコミュニケーションの問題には、医学部の難化も影響しているかもしれません。現在の医学部は国公立であれば偏差値は70以上、私立であっても偏差値65以下の学校はありません。そのため、他人を気にすることなく学業に没頭するような集中力が要求されます。そのため結果として、コミュニケーション能力に問題がある医師も増えてしまうのかもしれません。しかし、これだけ医療が進歩してくると、これらを使いこなすだけの能力も必要です。医師に優秀さを求めるのか? 人間性を求めるのか? 悩ましいところです。
3.長谷川の外来にはなぜ笑いが多いのか?
以前、矢部太郎さんが外来を見学にいらしたときに「先生の外来は笑いが、溢れていますね」と指摘されました。あまり意識をしたことはなかったのですが、認知症患者さんであっても、「良くなれば良くなったことを喜ぶ」、「変化がなければ進行しなかったことを喜ぶ」、「悪くなっても残された機能を喜ぶ」ことを意識していたからかもしれません。今回の家族としての経験からも、今まで以上にこのスタイルを貫きたいと思いました。
4.患者として身を守ろう
本来は、医師も患者さん・家族とのコミュニケーションについて学ぶべきです。しかしすべての医師にそれを望むことも無理があります。ですから患者・家族として、自己防衛する必要があります。そのために適宜医師に質問することも大事です。「良くなっていますか?」、「苦しいことを改善する方法はありますか?」、「先生の家族ならどう対応されますか?」といった質問を適宜行うと、適切な説明を受けることができると思います。
5.まとめ
- 一定数コミュニケーション能力に問題のある医師も存在してしまいます。
- そのため医師からの説明で、落ち込むこともあるかもしれません。
- 身を守るために、前向きな説明を引き出すような質問力も必要かもしれません。