ホテルのクラブラウンジは、私にとって静かな思索の場です。軽食をつまみ、炭酸水やコーヒーを片手に、ゆったりと時間を過ごす。イブニングサービスではアルコールが飲み放題になることが多く、ラウンジの雰囲気は一気に華やぎます。
私はお酒をほとんど飲みません。だからこそ、客観的にその光景を眺めることができます。テーブルの上に並ぶワイングラス。空いたビール瓶が何本も立てられ、次々と追加されるグラス。もちろん非日常を楽しむことは悪いことではありません。しかし、端から見ていると「楽しむ」を超えて「取り尽くす」に近い空気を感じる場面もあります。
認知症を専門とする医師として、アルコールとの付き合い方にはどうしても目が向きます。
目次
1.アルコール依存は“重症”だけではない
かつては「アルコール中毒」という言葉が使われ、昼から飲む、仕事に行けないといった重症例が問題視されていました。しかし現在は「アルコール使用障害」という概念で、より軽い段階から注意が必要とされています。
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飲める場では限界まで飲む
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量が徐々に増えている
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翌日に影響が出ても繰り返す
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飲まないと物足りない
こうした状態は白黒ではなく、グラデーションです。ラウンジで大量に飲んでいる方がすべて問題を抱えているわけではありません。しかし、「飲めるだけ飲む」という姿勢が習慣化すれば、将来の身体や脳への影響は無視できません。
2.若い世代は静かに距離を取っている
興味深いのは、そうした光景の中心が中高年層であることです。若い人はあまり見かけません。最近の若い世代は、
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健康志向が強い
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翌日のパフォーマンスを重視する
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飲酒をステータスと考えない
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コストと時間の効率を冷静に判断する
という傾向があります。かつての日本では「飲めること」が社会性の証のように扱われました。しかし今は違います。
「飲まない」という選択も、ごく自然です。私はそこに、日本社会の成熟を感じています。
3.アルコールと認知症
長期的な大量飲酒は、
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高血圧
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糖尿病
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心房細動
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脳萎縮
を通じて、認知症のリスクを高めます。外来で「若い頃はよく飲んだ」と笑う患者さんに出会うことは珍しくありません。適量であれば問題は小さいですが、習慣的な過量飲酒は確実に脳へ影響します。脳は沈黙の臓器です。
症状が出たときには、すでに長い年月の積み重ねが背景にあります。
4.ホテル側への視点
ここで一つ、サービスを提供する側にも目を向けたいと思います。クラブラウンジの「アルコール飲み放題」は、かつては大きな付加価値でした。「どれだけ飲めるか」が満足度の指標だった時代もあったでしょう。しかし、もしホテル側がその価値観のままで止まっているとしたら、時代に取り残される可能性があります。今の若い世代が求めているのは、
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上質なノンアルコールカクテル
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健康志向のフード
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静かなワークスペース
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ウェルネスや睡眠の質を高める体験
といった「量」より「質」のサービスです。アルコールの種類を増やすことよりも、ノンアルコールの選択肢を充実させる方が、これからの顧客満足度を高めるかもしれません。もし“たくさん飲めること”を中心に据え続ければ、それは古い日本の成功体験に依存していることになります。ホテルもまた、社会の価値観の変化とともに進化する必要があります。
5.元を取る文化から、時を味わう文化へ
クラブラウンジは、本来「時間を味わう」場所です。大量の空き瓶が並ぶ光景よりも、静かに会話を楽しむ姿の方が、その空間には似合います。お酒を否定するつもりはありません。問題は量と目的です。
「楽しむ」ためか。
「埋める」ためか。
その違いは、どこかに表れます。
6.認知症専門医としての願い
人生100年時代。
脳を守ることは、人生の後半を守ることです。
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週に2日の休肝日
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一日純アルコール20g程度
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最近の研究では、飲まないなら飲まないほど健康には良いこと
それだけでも未来は変わります。ラウンジで炭酸水を飲みながら、私は時代の移ろいを感じます。大量に飲む中高年。
静かに過ごす若者。そして、その狭間で価値観を問われるホテル。社会は少しずつ変わっています。目の前の一杯より、
10年後の自分の脳を大切にする。そんな価値観が広がることを、認知症専門医として静かに願っています。

認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。