「私は、お金に執着がない」、時々聞く言葉ですが、私はこの言葉が大嫌いです。
彼らは、お金により手に入れることができるものを理解できているのでしょうか?お金は、モノや不動産を手に入れて贅沢な生活をするだけのものではありません。例えば、お金があればより高度な教育を受ける事ができます。お金がなければ、自由な選択すらできません。また、十分な教育を受ければ十分な情報得たうえで、医療にもかかることができ健康も手に入れることもできます。さらに、住む場所やセキュリティにお金をかけることで安全も手に入れれます。もちろん、車一つとってもお金をかければ安全なものを手に入れることができます。さらに海外に留学したり、旅行したり経験まで買うことができます。
さらには、自由を手に入れることができます。自由には時間的および精神的自由があります。効率的にお金が手に入れば、時間的な自由が手に入ります。そこで、旅行、芸術、スポーツを嗜むこともできます。精神的な自由は、自分の勤める会社が不正をしていることに気が付けば、堂々と意見することもできますし、場合によっては辞表を叩き付けることもできます。お金がないばかりに、不正に目をつぶることで、犯罪に加担している方も結構見えるのです。
最大のものは、例えば世の中で困っている人たちがいれば、行動だけでなく寄付等で貢献することができます。もちろん、その点では納税による社会貢献もできるのです。
以上がすべてでありませんが、少しでも理解していれば、“お金に執着がない”などとの言葉は出ないはずです。こんな言葉が出る根底には、日本人は、お金を不浄なものと思っているため、“お金に執着がない”は褒め言葉だと勘違いしているのです。私は個人的には、これらの言葉を吐く人は、『お金が稼げない言い訳』『お金の持つ力を想像できない知的能力の低さ』『納税意識を含めた社会貢献という意識の欠如』だと考えています。
これらの延長で、馬鹿な経営者が「私は数字が苦手です」という言葉を発します。お金は、魅力のある人に集まってきます。「お金に執着がない人」は、「魅力がない人」とも言えます。
『私は、お金に執着がない』 という言葉は、十分稼いで十分納税してから言ってもらいたいものです。