私の外来では、認知症があっても生き生きと仕事をしている方がたくさんいらっしゃいます。
それなりの認知症があるので、介護申請をしてデイサービスなどの介護サービスの利用を開始することも可能です。しかし、彼らはあまり利用せずに積極的に仕事を続けているのです。「認知症があっても仕事ができるのか?」と疑問に思うのですが、実際に仕事をしていますし、むしろ労働現場では貴重な戦力になっているようです。
「高齢になっても仕事を続けてもらって大丈夫なのか?」と心配されている方もいらっしゃいます。しかし、仕事を続けることは認知症の最高の予防法です。「亭主元気で留守が良い」は、奥様のためではなくご主人様のためであるのです。
今回の記事では、月に1,000名の患者さんを診る認知症専門医の長谷川が、高齢になってからの仕事との正しい取り組み方をご紹介します。さらに、ファイナンシャルプランナー資格をもつ認知症専門医として、高齢者が仕事をしても年金が減らされない対策も最後にご紹介します。
目次
1.定年後に認知症を発生する理由
国連が高齢者の定義を65歳以上に決めたのは 1956年の報告書です。その頃の日本 人の平均寿命約 68 歳ですから、定年を60歳もしくは65歳にして、その後を余生としても問題はありませんでした。しかし今では日本人の平均寿命は女性87.14歳、男性80.98歳にもなっています。65歳定年であっても、退職後の期間は20年前後残っているのです。
そのときに、「悠々自適」の生活を送ることは容易ではありません。ある方の言葉を借りれば、定年後は「きょういく」と「きょうよう」がなくなるそうです。「きょういく」とは、「今日、行くところがある」こと。「きょうよう」とは、「今日、用がある」ことです。つまり、定年後は、毎日毎日「きょういく」と「きょうよう」を探し続ける必要があるのです。
実際、私の認知症専門外来でも、「退職を機に物忘れが出てきました」という方が多くいらっしゃいます。仕事がなくなくなると脳に対する刺激は間違いなく減ります。そのことによって、脳の機能は間違いなく低下して認知症に向かうのです。
2.定年後も仕事をするという選択肢
定年後に認知症にならないために、仕事をすることはもっとも効果的です。
2-1.労働力として必要とされている
65歳以上の人々の割合は、2016年の27.3%と%から2060年には39.9%に上昇すると予測されています。少子化により労働力が減る一方、寿命の伸びや生活環境の変化によって高齢者がかつてより元気に過ごせています。実際、日本老年学会では、健康に関するデータの分析から、65歳以上の体の状態や知的機能は10~20年前と比べ5~10歳ほど若返っているそうです。
また、ベテランだけが持っている知識と技能があります。あまり教育されない原理などについても染み込んでいます。若い世代だからなんでも完璧にできるわけではありません。長い間働いたからこそできるものがあるのです。つまり、労働面の社会的ニーズとして、高齢者がより重要な役割を果たしているのです。
2-2.外部刺激により健康面でもプラス
健康で長寿を保つのに最も影響を与えているのは、“就業”です。高齢者が仕事についているか、いないかということは健康問題にも直結しています。会社員だけではなく、自営の農業でも日々の天候に過敏になりスケジュールや金銭管理、肉体的作業を行います。このような刺激が重要です。
人間は、毎日何もすることがないと身体機能・精神機能が間違いなく低下します。実際、認知症患者さんの日常生活動作が低下する大きな要因は、「意欲低下により何もしなくなること」です。定年後に仕事をしないことは、みずから意欲低下につながる生活環境を作ろうとしているようなものなのです。
2-3.夫婦関係も良好に
外来で、高齢の夫婦を見ていると「夫婦には適度な距離感が大事」と痛感します。いつも一緒にいると、どちらかが依存してまうようです。夫婦の適切な距離感が双方の自立を生み、ひいては健康維持にまでつながるのです。
ご主人が定年後に仕事もせずに家にいると、奥様の体調にまで悪影響を及ぼします。実際、「昼食うつ病」という言葉があります。これは女性に多い症状で、主に夫の定年後に起こる現象です。
夫が定年後仕事をしていないと、朝食後もリビングに居座り、お茶やコーヒーなどを要求し、目の前の新聞やリモコンすら自分で取ろうとしない。決まった時間に昼食をとる生活が何十年も続いたため、正午になる前に「おい、今日の昼飯はなんだ」と何気なく聞いてきたりする。そのうえ、食卓に着いて昼食を待っていたりする。こういう言動が、妻には大きなプレッシャーになるのです。ついには、ストレスが蓄積し、妻の心身にさまざまな不調をきたすのです。
2-4.経済的な不安が減る
確かに現在の65歳以上の高齢者は健康です。しかし、75歳を超えると3割の方が介護を必要とします。つまり、75歳以上が本当の高齢者と言えるのです。介護の問題の90%以上はお金で解決します。そのために、定年後の65歳から75歳までの経済的基盤は重要となります。
年金が少ない方であれば、働くことで年金の受取を遅らせて、代わりに年金額を増やすことができます。ざっくりとした計算ですが、70歳から年金をもらうようにすると65歳から貰う場合に比べて40%程度手取りを増やすことができます。
貯蓄が少ない方であれば、働くことで貯えを増やしましょう。仮に増やすことができなくても、貯えの取り崩しを防ぐことはできます。つまり、仕事を続けることは、キャッシュとストックの両面に好影響を及ぼすのです。
3.認知症でも仕事ができる理由
認知症では、短期の記憶が障害されます。そのため、新しい仕事に取り組むことは困難です。しかし、人間の脳は素晴らしいもので、昔からやっている仕事のスキルは、長期の記憶に保存されています。長期記憶は認知症になっても障害はされにくいものです。ですから物忘れがひどく、言ったことをすぐに忘れてしまったり、同じ話を繰り返しているような患者さんでも、長年取り組んでいた仕事をすることは可能なのです。
周囲がその傾向を把握して、得意な領域だけをやらせるようにすると、本人も生きがいを感じてしっかり働いているようです。
4.外来で体験している実例から脳の凄さを知る
私の外来で、軽度どころか中等度~重度の認知症患者さんで仕事ができている例をご紹介します。
4-1.フォークリフトの運転で社内ナンバーワン
正直、認知症専門医として車の運転は不可とした81歳の患者さん。認知症のレベルではMMSE(ミニメンタルステート検査:Mini Mental State Examination)検査で、16点(30点満点中)です。結構進んでいます。しかし、いまでも50年以上勤めた会社の敷地内でフォークリフトの運転をしています。さらに社内の誰よりもフォークリフトの操作については優れているようです。そのため会社としても「絶対必要な人材」となっているのだそうです。「車の運転は不可能なレベルでも、誰よりもフォークリフトの操作ができるのか?」と不思議になりますすが、これが脳の仕組みの面白さなのかもしれません。
MMSE検査がどのようなものであるかについては、以下の記事を参照なさってください。
4-2.絵付け作業で技能を発揮
続いて84歳の患者さんです。やはり認知症のレベルはMMSEで18点。日々の生活では、物忘れもかなり強いようです。しかし、焼き物のお皿に絵付けをする作業では、会社内で誰よりも優れているようです。本来はデイサービスに行くレベルですが、毎日仕事に通ってもらっています。80歳を超えた患者さんに「毎日仕事に行ってください」というのは心苦しいものですが、本人も生きがいとしているようで、これこそが最大の脳リハビリなのかもしれません。
4-3.美容師
80歳の女性患者さんは自身で美容院を立ち上げました。現在は、娘さんが主に運営されています。認知症のレベルはMMSEで15点。さすがに美容師としての仕事はできませんが、タオルを洗ったり、掃除をしたり、昔なじみのお客さんと話をしたり、今でも必要とされているようです。
5.仕事上の注意点とは
高齢かつ認知症の方が仕事を続ける場合、以下の点に注意をしましょう。
5−1.短期記憶には向かないことを留意
前述した通り認知症の方は、「昔のことやカラダに染み付いていることは忘れずにできる」のに、「直近のことを忘れる」傾向があります。ですので、そういう仕事は避ける方が良いかもしれません(個人差があります)。
例えば、「新しい仕組みをおぼえさせる」「注文を取る」「電話番をする」「細かい金銭のやり取りをする」ような仕事には不安があります。本人の得意が発揮できる分野で仕事をしていただくことが、会社にもプラスになるでしょう。
5-2.血圧に注意する
高血圧の方は、重いものを持ったりする重労働は避けましょう。労働自体が血管に負担をかけるため、脳血管障害や虚血性心疾患を起こしやすくなります。
5-3.炎天下の仕事は避ける
最近の夏場の気温は殺人的です。外気温が40度を超えることさえあります。高齢になると体温調節が鈍くなるため、炎天下の仕事などでは、脱水、熱中症のリスクが高くなります。本人は脱水に気づきにくいのが認知症です。周囲の方もこまめに飲水を促してください。
5-4.ワークシェアリングを検討する
仕事がストレスになってはいけません。体力的にも、毎日ではなく週に2〜3回の就労が理想です。そのために誰かとひとつの仕事を、シェアするのも方法です。そうすれば年に数回、旅行に出かけることも可能となります。
6.働いても年金を減らさない方法
どんなに生きがいとして働いていても、給与を得ていると、年金が減ってしまうのがこの国の制度です。
厚生年金に加入したまま60歳以降も働くと、収入が多ければ年金は減額されてしまうのです。パートやアルバイトであっても「社保完備」であると、厚生年金を払っている可能性があります。しかし、60歳以降でも年金を減額されない方法があります。
個人事業主になって会社から業務を請け負うことにすれば、どんなに収入が多くても厚生年金保険の加入者ではないので、年金は減額されずに受給することができるのです。雇用主にとっては、給与で払うか業務委託費で払うかの違いでしかありません。就労に際して、「業務委託費」での支払いをお願いしてみましょう。
なお、20歳以上60歳未満の自営業者は、「第1号被保険者」として、国民年金に加入し、保険料を支払う必要がありますが、60歳以上であれば、国民年金に加入する必要はありません。
7.まとめ
- これからの時代の定年は、65歳ではなく75歳であると認識した方が良いでしょう。
- 健康で長寿を保つのに最も影響を与えているのは「就業」です。
- 「亭主元気で留守が良い」は奥さんでなく、ご主人のためなのです。