「おんな」から「をんな」へ──女はここから本気になる。

「おんな」から「をんな」へ──女はここから本気になる。

伊吹有喜さんの小説『鎌倉茶藝館』は、読後にお茶の香りがふわりと残るような、静かな余韻を持つ作品です。
主人公の美紀さんは48歳。最愛の夫と死別し、さらに長年勤めた会社も倒産するという二重の喪失に見舞われ、心の拠り所をすべて失ってしまいます。「未亡人とは、夫が死んだのに未だ亡くならない人」という言葉が示すように、彼女は生きていることそのものが負担のようになっていました。

そんな美紀さんが“最後の旅”のつもりで訪れた鎌倉で、道に迷ったことをきっかけに、人生が静かに動き始めます。彼女を助けたのは、美しい老マダムが営む台湾茶カフェ「鎌倉茶藝館」でした。成り行きで店を手伝うことになり、茶と着物、そして鎌倉の穏やかな日常に触れるうちに、美紀さんの心の乾きはゆっくりと癒えていきます。

目次

1.お茶と人は同じ──煎を重ねるたびに深まる味わい

老マダムの言葉はどれも人生の真理をそっと照らすようです。
「お茶も人も似たようなもの。何煎でも飲めますし、そのたびに味わいが深まっていくのですよ」
この一言に、本作の世界観が凝縮されています。

香りが薄れても、よい茶は美しさを残し続けます。
「女は死ぬまで女であるように」という言葉は、とても力強く響きます。人生の秋を迎えた女性へのエールのようで、自分の内側にある“まだ失っていないもの”に気づかせてくれます。

「心持ちが乱れ、落ち着かないときはお茶よ」というマダムの助言は、現代の私たちにも通じる“心の整え方”です。

2. “思秋期”という美しい概念が示す、人生後半の輝き

本作には、美紀さんが大人の女性として新たな視点を得る場面が多く存在します。特に印象的なのが、マダムが語る“をんな”という言葉です。「五十代を迎える女の『お』は、あ行の『お』ではなく、最後の『を』の“をんな”。五十音をすべて味わい尽くした女性のことです」

若さによって語られる“女”ではなく、酸いも甘いも経験してきた深みを指す“をんな”。年齢を重ねることを肯定し、むしろ誇りに変えていくような響きを持っています。

さらにマダムは続けます。
「生殖機能は衰えても、恋の喜びや官能の深みは衰えません。むしろ味わい深くなるものですよ」恋愛だけではなく、大人の官能、揺れる心、迷い──そのどれもが「生きている証」なのだと、本作は優しく語りかけてきます。

3.鎌倉という土地がくれる“カンフル剤”

美紀さんの再生に欠かせないのが、鎌倉という土地そのものです。
勝上展望台へ向かう険しい道のり、美しい着物の装い、古い茶器──それらすべてが、停滞していた彼女の人生に風を送り込みます。


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樟脳についての説明も象徴的でした。
「樟脳のカンファーには活気を与える作用があり、“カンフル剤”という言葉の語源です」
鎌倉で暮らす日々が、美紀さんにとってまさに人生の“カンフル剤”となっていくのです。

4.人生の紅葉期をどう生きるか

物語終盤、マダムは茶葉を示しながらこう語ります。
「これが茶葉の命。樹齢五十年の味です。五十年を経た人間は、もっと彩り豊かな時を過ごせるはず。人生の紅葉の時期、悪くないでしょう?」

この言葉は、美紀さんだけでなく、作品を読む私たちの背中もそっと押してくれます。紅葉は散るからこそ美しい。その一瞬に輝くからこそ尊い──そんな日本的な美意識が、この小説全体に流れています。

5.おわりに──煎を重ねるほど深まる物語

『鎌倉茶藝館』は、癒やしと再生の物語であると同時に、大人の女性の心の機微を丁寧に描いた作品です。
喪失、恋、官能、再出発──どれもが人生の一部であり、年齢を重ねたからこそ味わえる深さがあります。

読後に残るのは、「人生はまだ何煎でも味わえる」という静かな確信です。
思秋期を迎えた“をんな”に寄り添い、そして未来へ歩き出す勇気をくれる一冊だと感じました。

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