【お薦め本の紹介】奔流(ほんりゅう) コロナ「専門家」はなぜ消されたのか

【お薦め本の紹介】奔流(ほんりゅう) コロナ「専門家」はなぜ消されたのか

毎日TVで頑張っておられた尾身先生の経歴と今回のコロナ禍での働きぶりに改めて頭が下がります。もちろん尾身先生以外にも本当に多くの専門家の先生方の献身的ない仕事ぶりが世界でも有数の低い死亡率につながったことに心から感謝です。

  • 永田町や霞が関にも日常が戻ってきた。政府に都合のよい結論にお墨付きを与えてくれる専門家の「御用審議会」が政府の決定を支える日常が戻ってきた。そうした枠にはまらない尾身たち専門家がいなければ日常性を取り戻すための決定さえ踏み出せなかったのに、新しい日常の風景の中に、尾身や押谷や西浦の存在は消えていた。
  • 西浦の分析が持ち込まれたことで、日本では「三密回避」のクラスター対策や「接触八割削減」といった戦略がもたらされた。三密回避は世界保健機関(WHO)もその有効性を認めたし、八割削減を旗印に行われた最初の緊急事態宣言によって、日本はコロナ第一波にハンマー、すなわち人流を抑え込む強い感染対策を打つことに成功した。
  • 揺り戻しは激しかった。「よくぞやってくれた」と感謝されるどころか、経済活動を止められた人々から猛烈な反発が湧き上がり、対策の必要性を問うといった訴訟が起こされた。とりわけ政府の前に出るかたちで発信した西浦には直接の矛先が向けられた。個人を難じる内容証明郵便が直接、送りつけられることもある。厚労省のサポートはない。
  • 政策決定の責任は政治家にあって専門家が対策にコミットさせられるのはおかしいことを話した。
  • 専門家たちが向き合ったのが、日本の三人の首相だった。  コロナ初期の試行錯誤の時期は、安倍晋三政権の最終盤と重なった。五輪と経済再生に強い意欲を持った菅義偉はとりわけ専門家との対立が注目された。岸田文雄は平時に戻すプロセスを担った。
  • 新型コロナウイルス感染症による日本の死亡者数は、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が「二類相当」から「五類」に変更された二〇二三年五月八日までに七万四千六百八十八人にのぼる。人口あたりで見れば、米国や英国の五分の一、ドイツと比べると四分の一だ。
  • メディアは、行政に助言する〝客観的な有識者〟が〝 偏った政府〟を指弾する構図に飢えており、そうでない姿は退屈に映る。無事やり遂げてあたりまえ、対立図式を超えて現実的な改善や改革を導き出そうとすれば、こんどは〝政権におもねった〟〝国土交通省寄り〟とレッテルを貼られるものだ。権力の助言者になることは、そんな損を引き受けることでもある。
  • 感染症の流行が起こっているなかで決定権限なんて何もないのに責任を問われる。
  • 厚労省の中にいていいことなんてほとんどないんです。ただ、自分を育ててくれた国ですので、その国が従来通りの行政対応だけに終始して、みすみす流行が広がるのを黙って見ているわけにはいかなかった
  • 医者の考え方は、一人の人に対していかに最善を尽くすかという考え方ですよね。それが、公衆衛生学の考え方では、人間の集団として何がベストかという考え方をするんです。
  • SARSの場合、感染者のほとんどが肺炎を起こす上に、致死率も高かったため、 宿主 の死により感染にブレーキがかかりやすかった。これに対し、新型コロナでは、軽症や無症状の人も感染力を持っており、おのずと感染者が増えていく。
  • 尾身や岡部信彦(川崎市健康安全研究所所長)といった昭和二〇年代前半生まれの〝レジェンド〟が要となる専門家会議とはカラーが違い、クラスター対策班はいわば〝青年将校〟ともいうべき昭和四、五〇年代生まれの鈴木・齋藤・西浦らが中核で、二つの年齢層にはさまれた昭和三四年生まれのWHOでSARS対応の経験もある押谷がリーダーである。
  • 『嫌われたくない』という理由で言うべきことを言わない、つまり〝 忖度〟することは専門家としてやるべきではない
  • 助言者すなわち専門家は、「科学は政府が政策決定の際に考慮すべき根拠の一部に過ぎないことを認識しなくてはならない」
  • 感染が落ち着いてくると、感染対策を提言してきた専門家への批判がSNSにあふれた。
  • 感染症の専門家たちは「次は社会や経済の専門家も入れてほしい」という改組の要望を「卒業論文」の中で示していた。
  • あれだけ献身的に力を尽くした専門家に対して敬意を欠いた仕打ちだという批判はメディアからだけでなく与党からも出て、西村は「『廃止』という言葉が強すぎた」と釈明に追われた。
  • 尾身は右と左の両方の手首に時計を巻く二刀流になっていた。一つはいつものセイコー、もう一つは、娘から贈られたアップルウォッチ。つまりは脈拍を測らせるためのもので、尾身の体も悲鳴を上げ始めていた。
  • 尾身が述懐する。 「そもそも東京五輪については、私自身は専門家の仕事の範疇を超えると思っていました。世界中から選手が集まる祭典で、莫大なお金がかかったイベントでもある。その開催の実施や延期、観客の有無に関しては、感染症専門家が責任を持てる範囲を超えています。
  • 日本は病院の数が多い一方、その約七割は二百床未満の中小病院で、数ある病院に人や設備といった資源がバラバラに分散している。このため地域密着のクリニックへのアクセスは世界一だが、一病院あたりのスタッフ数が諸外国に比べて手薄になる。
  • 国民を守るための仕事で、国民の代表から、あるいは国民から蹴り出される。そうわかっていながら黙って職責を果たそうとした者たちもいた。そのことだけは記憶されてよい。
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