著者は、戦略的〝暇〟を『日常に「良質な暇」を取り入れ、 現代社会のストレスから一時的に離れる時間を生み出し、人生の質をより良い方向に転換させるエネルギーを養い、個々のエネルギーを充足させ、そのエネルギーを外部にも 伝播 し、社会そのものを良い方向に転換させることを最終目的とする。』と定義されています。
- 現代に蔓延する「デジタル疲れ」
- 元気な人は疲れている人よりも睡眠以外の休息時間が長いこともわかっています。
- デジタルデトックスという言葉は長いので、今後は「DD」としましょう。DDとは、現代のデジタル疲れに対処するための「新しい休み方」のことです。
- 現代において、「暇」は何も生み出さない非効率的な存在として──「暇とは埋めるべきもの」だと──、隅に追いやられています。しかし、暇を人間社会の中心に置き、その創り方と活かし方について考えることで、もっとたくさんの人たちが休息を得て、人生を変えるエネルギーを自ら生み出していくのではないでしょうか。
- 自分が変わるためにも、社会が変わるためにも、たくさんのエネルギーが必要だから「休む」のです。
- 戦略的〝暇〟を実践する人が増えれば、あなたが変わり、最終的には個人の集合体である社会をも変える力になる
- 最高のOFFから最高のONを生む
- 学問や芸術など、人々の生活を豊かにするものは労働を免除された階層から生み出されたもの
- 現代の私たちに必要なのは、身体の休息の中でも特に「脳の休息」です。
- 働く側は限られた時間でより多くの成果物を生産することが求められ、消費する側はマーケティングによって購買欲を過度なまでに刺激されている。私たちは労働においては「生産の道具」であり、余暇においては「消費を促される存在」なのです。
- 必要以上に生産させ、消費させる。こうした性格を宿す現在の資本主義は、そのあとに到来するデジタル技術と非常にウマが合いました。いえ、「合いすぎた」と言うのが正確かもしれません。
- 経済学者のトマ・ピケティです。は今のままでは格差は広がるばかりだと主張しており、富裕層には所得ではなく資産に対して課税をすべき、 25 歳になった若者にまとめて1500万円ぐらい一律に支給すべき、といった新しい資本主義のあり方を訴えていた
- 良質な暇の対極には「悪質な暇」が存在します。悪質な暇とは余暇の時間が単なる「憂さ晴らし」になっており、仕事やライフワークなど自分が力を発揮したい箇所へとエネルギーが転換されない状態です。
- スマホは、諸刃の剣です。自分の世界を広げてくれることもあれば、ただ時間とエネルギーを奪い取ってしまう側面もあります。
- デジタル機器にとっては複数のアプリを起動する「マルチタスク」は可能ですが、私たちの脳ができるのはあくまで「スイッチタスク」(タスクを切り替えるだけ)だけ。 私たちの注意力(注意資源*)はスマホのバッテリー同様、無限ではありません。
- スマホの利用時間が長くなると、勉強していても成績は下がってしまう
- 川島教授はこのプロジェクトの結果から、「子どものスマホ利用は長くても1日1時間まで」と推奨しています。
- 脳科学者のラリー・ローゼンは、デジタル機器に多く触れている子どもたちの脳の大脳皮質が、そうでない子どもたちに比べて薄化している点に注目
- 近年ではこの「アイデアが降ってくる」現象が脳科学的に解明されつつあります。それが、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と呼ばれる脳のネットワークです
- DMNとは安静時に発動する脳機能の一つで、過去のことや未来のことに漠然と思いを巡らせている状態、いわゆる「ぼんやりとしている状態」を指します。
- 単にDMN下にある脳はアイドリングをして白昼夢に 耽っているだけではなく、脳内に溜まった情報を処理していることがわかってきています。
- DMN中にこれまでに蓄えた情報を整理しているうちに、いくつかの情報がぶつかり合ってひらめきが生まれるのかもしれません。
- スマホを延々と眺めて身体を動かさないと、ますます脳は疲れ、衰え、ストレス下にある脳はますますスクロールの誘惑に耐えられなくなるという悪循環に陥ってしまう可能性
- 日本は「眠れぬ国」のようです。厚生労働省が2024年に発表した「睡眠時間の国際比較」では、日本人の平均的な睡眠時間は7時間 41 分。 11 ヵ国内で最下位です
- インターネットやスマホが登場したことで「子ども時代にするべき体験が阻害されている」と述べ、スマホは「体験ブロッカー」であると批判
- AIなどによる自動化によって米国にある仕事の3分の1がなくなるものの、それ以上に雇用が生み出されると予測
- 2030年の労働需要の8~9%は、これまで存在しなかった新しい職業によるものになるだろう
- 二流の選手は環境の変化に対応できない…一流は、それに逆らわない…そして、超一流は、それを利用する!
- 私たちが向かうべきは、「満ち足りた余暇社会」です。余暇社会とは、単に憂さ晴らしや暇つぶし的に消費される悪質な暇ではなく、プロセスそのものに喜びを伴い、自分の未知なる可能性を追い求め、心身を充電させる回復期間にもなる「良質な暇」で満ち足りた社会を指しています。
- 参謀のように情報を受け、冷静な判断を下す島皮質や前頭前野ですが、HPA系が過度に活動し続けると彼らは疲弊し、HPA系の暴走を止められなくなります(前頭前野は情報の処理を続けることで過労状態に陥ります)
- 逆説的ですが、私たちがコスパやタイパという尺度を使って効率化を図る最大の目的は、自由を味わうこと──非効率な時間を謳歌するためです。
- 人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない。
- 仏教において「最終的に手放すべきものは自我」と語っており、手放すことによって周りの世界(=自然)と一体化する、むしろ元より人間は自然と一体化している存在だと気づくことがゴールだとお話しされていたのが印象的でした。
- 脳のエネルギー消費を抑えるため、視覚やその他の感覚においては「予測処理」が働いていると考えられています。予測に基づいて次の出来事を見積もるほうが、毎度目の前の大量の情報を処理するよりも効率的だからです。
- 激しい海路をゆくローマ時代の航海士や船乗りたちのあいだでは、こんな合言葉がありました。 たゆたえども、沈まず。
- 沈みさえしなければ、いつか陸地に辿り着くかもしれない。だから、まずは沈まないことだけに力を捧げようと。
- たゆたえども、沈まず」の精神こそが、これまで激動の時代を生き抜いてきた人類が残した智慧にも思えます。
