平成24年7月29日には、私の曾祖母の50回忌と、祖父の33回忌の法事が行われました。
宗派・地域で異なるようですが、50回忌は、1周忌・3回忌・7回忌・・・等の法事と異なり、「故人が仏様になる」節目という事で、「お祝い」と考えるようです。
死んでから50年もたって子どもや孫たちが集まること、死んで50年たっても子孫が法事をできる事、そして集まってくる人達の結束力。
そう考えるとすでに法事ではなく「今生きてる人間たちのすごさ」のお祭りと思えてきています。
33回忌を迎えた祖父は、私の認知症との関わりの原点となった方です。
どれだけ感謝してもしきれない存在です。
17年後の50回忌には、さすがに私の両親は亡くなっている可能性が高い?ので、自身が盛大に「お祭り」をとり行いたいと思いました。
さて、法事に来ていただいたお寺さんが素敵な話を紹介してくれました。
・ 『供養』とは、仏陀の説法を聴聞する事(読経)によって、生きているものと亡くなったものが真に出会うことです。それは無くなった者が、生きている者にとって、自分の生き様を問い代えさせてくださる仏だったと拝めることです。
・ 法要の意義
① 個人の御遺徳を偲び、お世話になったご恩に感謝し、人としての生き様を学ぶことによって、自分の命と個人の命が再び出会う機会
② 命あるものは、いつか必ず滅びていくが、生きるものすべてを支えている「命の源」は永遠に続いていくものである。法事は、今まさに、この自分が奇跡のように生かされている尊さを学び、しかも、その「自分の命」が「命の源」や『永達の命』、『故人の命』とつながっていることを感じる機会
経営者の勉強会では、“先祖に対する感謝の重要性“を多くの方が説いています。
我が家では、生まれたときから、自然と仏壇に手を合わせ、お墓参りをする習慣がありました。
改めて先祖に感謝するとともに、良き習慣を子供達にも引き継がせる責任を感じました。