『まだ困っていません』が招いた悲劇―認知症介護で本当に怖いこと

『まだ困っていません』が招いた悲劇―認知症介護で本当に怖いこと

認知症医療に携わっていると、時々とても苦しくなるケースがあります。病気そのものではありません。

「もっと早く動いていれば違ったかもしれない」

そう思わずにはいられないケースです。

認知症は、ある日突然すべてが壊れる病気ではありません。少しずつ進行し、少しずつ生活に影響を与えていきます。

だからこそ、多くの人は油断してしまいます。「まだ大丈夫」「まだ困っていない」「そこまで悪くない」そう思っているうちに、気が付けば取り返しのつかない状況になっていることがあります。

今回お話しするのは、80代女性の患者さんのケースです。私は何度もご家族に介護サービスの利用を勧めました。

しかし、ご家族はそのたびに同じ言葉を繰り返しました。

「困っていません」

そして数か月後、その言葉は突然こう変わりました。「もう家では無理です。施設を探してください」その時、私は強い無力感を覚えました。今日は、認知症介護で本当に怖い「家族の先送り」についてお話ししたいと思います。

目次

第一章 「まだ困っていない」が危険信号になる理由

その患者さんは80代の女性でした。もともと小柄な方でしたが、徐々に歩行が不安定になり、転倒も増えていました。さらに認知症も進行していました。同じ話を繰り返す。薬の管理ができない。食事内容も偏る。外来でお会いするたびに、「一人で安全に生活するにはかなり厳しい状態になっている」と感じていました。

私は何度も息子さんにお話ししました。「今ならまだ間に合います」「デイサービスだけでも利用しませんか」「ケアマネジャーにつなぎましょう」しかし返ってくる答えはいつも同じでした。

「本人が嫌がるので」

「まだそこまでじゃありません」

「困っていません」

実は、この「困っていません」という言葉ほど危険なものはありません。認知症介護では、本当に困ってから動こうとすると遅いことがあるからです。介護サービスは、限界になった人が使うものではありません。限界になる前に使うものです。

多くのご家族は、

「親を施設に入れるなんてかわいそう」

「まだ頑張れる」

「サービスを使うほどではない」


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と考えます。その気持ちはよく分かります。私自身も家族の立場なら、同じように思うかもしれません。しかし認知症は、家族の気持ちを待ってはくれません。少しずつ、しかし確実に進行していきます。そしてもう一つ厄介なのは、毎日接している家族ほど変化に気付きにくいということです。

今回の息子さんは同居していませんでした。時々顔を出す程度です。そのため、患者さんの日常生活の変化を十分に把握できていませんでした。一方で私は、外来で患者さんを診るたびに危険信号を感じていました。認知症の進行だけではありません。転倒、栄養状態、社会的孤立。さまざまな問題が重なり始めていたのです。

第二章 食べなくなった時、驚くほど弱っていく

転機は突然やってきました。患者さんが食事を取れなくなったのです。高齢者は食べられなくなると、一気に状態が悪化します。筋肉が落ちる。歩けなくなる。外出しなくなる。寝ている時間が増える。認知症も進行する。

まるで雪崩のように生活機能が崩れていくのです。この患者さんも急激に痩せ始めました。顔色が悪くなり、表情も乏しくなりました。歩くことも難しくなり、転倒リスクはさらに高まりました。私は診察室で患者さんを見ながら、「かなり厳しい状況になった」と感じていました。

そしてようやく息子さんが慌て始めたのです。ケアマネジャーに電話が入りました。「もう家では無理です」「施設を探してください」もちろん私たちは支援します。それが仕事です。しかし正直に言えば、複雑な気持ちになりました。心の中でこう思ってしまったのです。「だから、あれほど言ったのに……」もっと早くデイサービスを利用していたら。もっと早く人との交流があったら。もっと早く栄養状態を管理できていたら。

もちろん認知症そのものを止めることはできません。しかし、進み方を緩やかにすることはできるのです。私はこれまで数え切れないほどの患者さんを診てきました。介護サービスを上手に利用している方は、同じ病気でも穏やかに生活を続けられることが少なくありません。介護サービスは単なる「お世話」ではありません。

孤立を防ぐ。栄養状態を守る。生活リズムを整える。転倒を減らす。家族の負担を軽くする。つまり、「人生が壊れにくくなる仕組み」なのです。ところが多くの人は、限界まで利用しようとしません。そして限界を超えた瞬間に、「どうにかしてください」と言うのです。現場で働く私たちにとって、それは本当に切ない瞬間です。

第三章 人は知識では動かない。

今回、私が特に考えさせられたのは、息子さんが市役所勤務だったことです。介護制度を知らない人ではありません。高齢化社会の問題も理解しているはずです。それでも最後まで、「まだ困っていない」と言い続けました。

私はこの経験から改めて思いました。人は知識だけでは動かない。感情で動く生き物なのだと。親が弱っていく。認知症が進行していく。介護が必要になる。これは想像以上につらい現実です。だから人は無意識に現実から目を背けます。「まだ大丈夫」「そこまでじゃない」「本人が嫌がるから」そう言って先送りしてしまうのです。しかし、その代償を払うのは多くの場合、患者さん本人です。

今回の患者さんもそうでした。もっと早く支援が入っていれば。もっと早く社会とのつながりがあれば。もっと早く栄養状態を守れていたら。もう少し穏やかな時間を過ごせたかもしれません。

そして私が最も苦しかったのは、息子さん自身が今でも本当の意味で事態を理解できていないように感じたことです。どこかに、「施設に入れば解決する」という空気がありました。しかし本当は違います。施設入所はゴールではありません。

もっと前の段階でできたことがたくさんあったのです。認知症介護で最も怖いのは病気そのものではありません。家族の否認です。そして、その否認から生まれる先送りです。

おわりに

認知症は静かに進行します。だからこそ人は油断します。「まだ大丈夫」「まだ困っていない」「もう少し様子を見よう」そう考えてしまうのです。

しかし、その「まだ」が人生の大きな分岐点になることがあります。私は今回の患者さんのことを思い出すたびに、今でも胸が苦しくなります。もっと早く家族が動いてくれていたら。もっと早く支援が始まっていたら。患者さんはもう少し穏やかな時間を過ごせたかもしれない。

認知症医療を続けていると、病気そのものよりも「周囲の否認」の方が怖いと感じることがあります。そしてそれは、特別な家族の話ではありません。介護制度を知っている人でも。役所で働く人でも。医療や福祉に詳しい人でも。自分の親のことになると、現実が見えなくなることがあります。

だから私は今日、この話をお伝えしました。もし今、ご家族に少しでも気になる変化があるなら、どうか早めに相談してください。介護サービスは「最後の手段」ではありません。大切な人の人生を守るための「最初の一歩」なのです。そして、「まだ困っていない」という言葉の裏にこそ、本当の危険が隠れていることがあるのです。

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