国保逃れ問題に見る「制度の穴」と日本社会の現実

国保逃れ問題に見る「制度の穴」と日本社会の現実

最近、日本維新の会に関連して、いわゆる「国保逃れ」が問題として取り上げられています。もっとも、この話題は特定の政党や個人に限った不祥事として片付けられるものではありません。むしろ、日本の社会保障制度そのものが抱える構造的な歪みが、たまたま可視化された事例と捉えるべき問題です。

目次

1.国保逃れの基本的なスキーム

一般に「国保逃れ」と呼ばれるケースの多くは、マイクロ法人を活用した仕組みです。具体的には、個人が法人を設立し、自身を代表取締役としながら、役員報酬を最低限に設定します。これにより、厚生年金や健康保険といった社会保険料を低い水準に抑えることができます。

一方で、実際の収入の大部分は、講演料や原稿料、業務委託費などを個人事業として受け取ったり、法人からの配当や経費処理を通じて間接的に得たりします。その結果、社会保険料の負担を大きく軽減できる場合があります。

重要なのは、こうした手法の多くが、現行制度上「明確に違法」と断定されるものではない点です。いわゆる脱法行為というよりも、「制度が想定していない使われ方」と言った方が実態に近いでしょう。

2.なぜ問題視されるのか

それでは、なぜこれが社会的な批判の対象になるのでしょうか。理由は比較的明確です。同じ所得水準であっても、

・給与所得者
・個人事業主
・法人オーナー

といった立場の違いによって、社会保険料の負担額に大きな差が生じているからです。

とくに給与所得者の場合、社会保険料は給与から自動的に天引きされ、調整の余地がほとんどありません。一方で、制度に詳しく、法人設計が可能な立場にある人ほど、負担を軽くすることが可能です。この不公平感が、「国保逃れ」という強い言葉で表現されているのです。

3.グレーだが、全否定はできない現実

ただし、ここでは冷静な視点も必要です。マイクロ法人を活用した社会保険料の最適化は、政治家に限らず、コンサルタント、フリーランス、中小企業経営者などの間では、すでに広く行われている実務でもあります。

税理士や社会保険労務士が「現行制度の中で可能な選択肢」として説明することも少なくありません。つまり、これらの行為は明確な黒ではなく、グレーゾーンに位置づけられるものであり、完全に否定されるべきものとは言い切れないのが実情です。

制度を利用した側だけを道徳的に非難しても、根本的な解決にはつながりません。


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4.本当の問題は制度設計にあります

本質的な問題は、日本の社会保険制度が、

・働き方の多様化
・個人と法人の境界の曖昧化
・急速な高齢化による負担増

といった現実に十分対応できていない点にあります。

社会保険料の負担が「所得」ではなく「収入の形態」によって大きく変わる限り、合理的に行動する人ほど制度の最適化を図ろうとします。これは人間として自然な行動であり、むしろ問われるべきは制度設計そのものです。

5.制度を知ることはズルなのか

「制度を知って得をするのはズルい」という感情は理解できます。しかし、制度を知らなかった人が結果的に損をする仕組みを、長年放置してきた社会にも責任があるのではないでしょうか。

重要なのは、特定の個人や集団を叩くことではなく、社会保険制度をどのように見直すべきかを議論することです。負担の在り方を、よりシンプルで公平な形に再設計しない限り、同様の「国保逃れ」問題は今後も繰り返されるでしょう。

6.おわりに

今回の問題は、単なるスキャンダルではありません。
日本社会が長年先送りしてきた「社会保障制度と働き方の不整合」が、たまたま表に出ただけの事例です。

感情論で白黒をつけるのではなく、制度の現実と向き合い、冷静に議論することこそが、今求められている姿勢ではないでしょうか。

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