最近、父の「物忘れ」が多くなってきたようだ。「オヤジもそろそろ認知症かも…」と思って医師の診察を受け、一言。
「お父さんは少し認知症の傾向がありますね。見当識障害も見られます。まあよくある認知症の症状ですよ。」このように言われることがあります。あまりなじみのない言葉なので、多くの疑問を持たれることがあるでしょう。
見当識障害(けんとうしきしょうがい)とは、医学用語では失見当識(しつけんとうしき)とも言い、いろいろなことがわからなくなる症状です。
このような患者さんは、物忘れだけでなく、他のできごとが起こることもあるかもしれません。
例えば、日常生活は自立しているのに、ときどき変な行動をとる方がいらっしゃいます。一か月も前の話を昨日のことのように話したり、真夏なのに厚着をしてしまったりします。注意すれば、うまく話を取り繕ってしまうので、ご家族も放置しがちです。しかし、この症状も認知症の初期段階で見られる「見当識障害」です。見過ごさずに認知症の症状として認識しましょう。
では、この見当識障害とは、いったいどのような症状が起きて、改善するための対応や治療はどうやって行っていけばいいのでしょうか。この記事では、月に1,000人の認知症患者を診る長谷川が、見当識障害の正しい情報・対応・治療法をお伝えします。
目次
1.見当識障害とは。初期のサインと進行段階について
見当識障害とは、言葉だけみるとイメージがわきにくい言葉です。簡単に言えば、時間、季節、今いる場所、人がわからなくなる障害です。認知症の患者さんでは「物忘れ」に次いで、多く見られる症状です。初期は、ちょっとした間違いのように振る舞い、徐々に進行していくことが少なくありません。以下のサインを見逃さないようにしましょう。
1−1.「時間」が分からなくなる
時間や日にちが分からなくなります。日常生活には支障がないため、この段階で、認知症に気づくことは難しいかもしれません。今日の日付がすぐに分からなくなることは誰にでもありますし、分からなくても「今朝は新聞を見なかったから」と言えば違和感はありません。このように、要領よくごまかすこともあるため、周囲は気づきにくいものです。
1−2.「場所」が分からなくなる
認知症が進むと、「場所」もわからなくなります。最初は、旅行などで慣れていない場所で迷う程度のため、家族も「たまたま」と思ってしまいます。しかし、場所の見当識障害は、しだいにはっきりしてきます。自宅にいるのに「家に帰る」と言い張る、といったことが起こるようになります。
1−3.「人物」が分からなくなる
認知症がかなり進行すると、家族の区別もつかなくなります。孫をよその子供と間違える、配偶者に「どなたでしょう」とあいさつする、息子が帰ってきたのに「知らない男が侵入した」と騒ぐ、といった行動があらわれます。
2.見当識障害の原因
見当識障害の原因疾患の三つの代表例をご紹介します。
2−1.アルツハイマー型認知症
見当識障害は、アルツハイマー型認知症の初期段階から出現します。比較的、認知症自体の症状が軽い時は見当識障害も軽いものです。日常生活が自立できている段階では、ときどき変な行動をおこす程度のため家族の負担も重くはありません。しかし、認知症自体が進行すると、見当識障害の症状も重くなり、家族さえも認識しなくなります。
2−2.レビー小体型認知症
アルツハイマー型認知症と違って、レビー小体型認知症では、認知機能障害が維持されている段階から驚くような見当識障害を認めます。比較的早期からご家族を見てもわからなかったり、実際には子供が一人しかいないのに「もう一人息子がいる」などと言って周囲の人を驚かせることがあります。
逆に、このことからレビー小体型認知症の診断がされることさえあるのです。
2−3.外傷(交通事故)
交通事故による頭部外傷によって脳がダメージを受け、その結果、高次脳機能障害が引き起こされることがあります。この場合は、脳の高次脳機能障害の一つの症状として見当識障害が出現します。
3.具体的な症状3つのパターン
ここでは、外来で比較的みられる具体的な症状をご紹介します。
3−1.奥さんに、「こんな婆さん知らん」
「奥さんはまだ若い」と思っているため、おばあさんになった奥様が顔を出しても誰かわからなかったりします。その時の発言が、奥様に対して「こんな婆さん知らん」です。奥様は相当怒られましたが、病気の症状であることを説明して納得してもらいました。
同様に、「ご主人はまだ若い」と思っている奥様が、息子さんをご主人と勘違いされることもあります。
3−2.夜に出かける
朝・昼・晩の区別がつかなくなって、真夜中の2時に突然起きて、服を着替えて買い物に行こうと出かけることもあります。ここに、場所の見当識障害も加わわることも少なくありません。真夜中に「ここは自分の家ではない」と言い、昔住んでいた家や実家に帰ろうとされることもあります。
3−3.夏なのに暖房
最近では、真夏に多くの高齢者が脱水症で病院に運ばれ、命を落とされた方もいらっしゃいました。これも、季節の見当識障害が一因です。季節感も乏しく、夏なのに暖房を入れることさえあります。同様に季節にあった服装も選べなくなります。
4.否定やテストはダメ! 正しい対応とは
見当識障害は、今を、自分が若かった頃と勘違いして、周囲の人や状況をその頃にあわせて解釈しようとします。多くは、ご自身が一番輝いていた時代、たとえば会社でバリバリ仕事をしていた頃や、子育てに追われていた頃に戻ることが多いようです。
4−1.可能な限り付き合う
患者さんは、昔の良い思い出のなかに生きていますので、本人はとても幸せでもあります。もし介護者が可能なら、出来る範囲で結構ですので話を合わせてあげてください。否定することもせず、黙って聞いてあげるだけで十分です。ただし、あまりに介護者自身もストレスが溜まっている場合は、無理はしないでください。
4−2.試さない
患者さんのご家族がやってしまいがちで専門医としては止めてほしい行動があります。それは、「患者さんを試すこと」です。『お婆ちゃん、私分かる?』『お爺ちゃん、この人誰だっけ?』。このようなことを言ってしまうのです。どれぐらい障害が進んでいるのか確かめてみたく、皆が患者さんを試すのです。これは見当識障害がある患者さんにとっては答えにくい質問なのです。
考えてみてください。日常生活で、いきなり他人に合ったときに「私のこと分かります?」なんて聞きますか? 聞かれた人はどう思いますか? 『見たことある顔だが、名前が出てこない』という感じでしょう。これは結構、ストレスです。
それが認知症の患者さんには会う人、会う人が試すのです。患者さんにとってはストレスであり感情が傷つきます。どうぞ試さずに、自分で名乗ってあげてください。
4−3.反応を楽しむくらいの気持ちで対応する
同じ見当識障害の患者さんがいても、家族によって受容の仕方は様々です。とても深刻に考え、「今日も変なことを言った」などと落ち込まれる方もいらっしゃいます。逆に、「こんなことありました」と笑って報告してくださるご家族もいらっしゃいます。
専門医としての印象は、できれば深刻に考えずに笑い飛ばすぐらいの対応がお勧めです。周囲が深刻になると患者さんには伝わります。認知症は、記憶力が低下しても感情はいつまでも残るものです。そのためには、できるだけ明るい対応の方が、認知症自体にも好影響を与えるのです。
5.治療法
認知症の治療は、薬物治療とリハビリの二本柱となります。この章では長谷川が実際に行っている代表的な方法をご紹介します。
5−1.認知症薬物療法
まずは、見当識障害の最大の原因である認知症の治療を早めに開始しましょう。現在、アルツハイマー薬は保険適応で4種類。その他にも漢方薬等もあります。専門医としては、それぞれ特徴があり、患者さんによって使いわけることで成果を出しています。
外来で認知症の診断をしてアルツハイマー薬を処方しようとすると、ご家族から「認知症の薬は症状の進行を止めるだけなんですよね?」と質問されることがあります。
しかし、アルツハイマー薬は神経細胞と神経細胞の流れを良くすることで症状の改善を図ります。そのため神経細胞の数が維持されている時期、つまり早期であればあるほど改善する可能性が高いのです。
以下の記事では、アルツハイマー型認知症の患者さんに使用する薬の使い分けについて解説していますので、そちらもぜひ参考になさってください。
5−2.リアリティ・オリエンテーション
「現実見当識訓練」と訳されます。1968年アメリカのアラバマ州にある退役軍人管理局病院で精神科医Folsom氏によって開始されました。当初は戦争の後遺症によって脳に損傷を受けた軍人に用いられた療法でした。現在は認知症を改善させるリハビリテーションの一つとして広く取り入れられています。
具体的には、日常の会話やコミュニケーションの中で、着替えなどのサポートをしながら「今日は○月○日だから、ひな祭りですね」という会話を行い、見当識を補う手がかりを与えます。
小グループに分かれて、スタッフが進行役を務め、それぞれの基本的情報(名前・日時・場所)などを提供する方法もあります。
まさに、試さずに確認することが、リアリティ・オリエンテーションです。敢えてリハビリとして行わなくても、日常生活の中でご家族が対応に工夫することがリハビリになるのです。
6.まとめ
- 時間、季節、場所、人がわからなくなる障害を失見当識障害といって認知症の初期症状の一つです。先送りせずに正しい診断・治療を受けましょう。
- 深刻に考えずに、笑い飛ばしてしまうことが、認知症自体にも有効です。
- 対応方法のコツは、『試さずに確認する』、これがリハビリにもなるのです。
認知症には、さまざまな症状があります。当ブログでは以下の記事にて詳細に解説していますので、そちらも併せて参考になさってください。