何となく読んでいるうちに、難解な東洋哲学が分かったような気がする不思議な本です。
- 西洋の哲学者は、「生き方」にあんま興味がない人がおおいのだ。
- ニーチェ、発狂して 10 年間ふとんに入ったまま、死んだらしい。
- 東洋哲学のいいところは、きほんてきに、 「どう生きればいいか」がテーマなこと。そして「答え」があること。
- 東洋哲学は、とにかく楽になるための哲学なのだ。
- ブッダについて、一番大事なことをつたえたい。 ブッダは「人間」である。
- ブッダもまた、虚無感になやんでいた人間だったのだ。 でも、ブッダはすごい。 なんと、 虚無感を完全に解決したのだ。
- ギャルの慈悲がつまったおかゆは、沁みた。 ブッダの体力と気力がモリモリ回復した。過去最高のコンディションである。 そのままの勢いで、食後、おっきい木の下で瞑想したら、 悟りを開いてしまった。
- ちなみにこのギャルは「スジャータ」という。コーンスープとかでおなじみの日本の食品メーカーの名前の由来になっている。
- 悟った、ということは、「本当の自分」の答えが見つかったということである。 いったい、どんなものなのか? その答えは 「無我」 だった。
- 「自分」とはただの「妄想」。 ほんとうは、この世界は、ぜんぶつながっている。 よく観察すればわかる。
- 「自分」のからだは、食べもの、つまり「自分以外」のものからできているのだ。
- 「鳥」も、「鳥」以外のものでできている。虫とか食ってる。 「虫」も、「虫」以外のものでできてる。草とか食ってる。 「草」も、「草」以外のものでできてる。水とか太陽の光とか。
- 「これが自分だ」といえるようなものは、ひとつもない。 と結論づけたのだ。 なにもかもが、無限にいれかわり続けている。 「自分」も例外ではない。これが、「無我」 なのだ。
- たぶん「自分」とはこの石の堤防みたいなものだ。変化する川を、とめようとすると、めっちゃ苦しい。 すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。 そんなことしたら、苦しいにきまってる。
- 「自分」ぜんぶすてたら、「きもちいい」らしい。
- この「一番、きもちいい」の境地を、ニルヴァーナ( 涅槃)とよんだのだ。
- 龍樹によって、 200巻のボリュームになっていたブッダの教えは、わずか1文字になったのだ。 ひ…ひともじ…そんな減る!? 「空」 である。 この世界はすべて「 空」である。
- 龍樹によって、仏教は、超シンプルな教えになり、誰でもだいじょうぶな仏教、その名も「だいじょう仏教」(大乗仏教)として、大復活をとげた。
- 「ミッキーマウスは、存在するか?」 と聞かれたら、どう答えるだろうか? みんなの心には「いる」。でも実際には「いない」。 「いる」とも「いない」ともきめられない。 この絶妙なかんじ。これが「 空」なの
- 彼氏」と「彼女」は、おたがいに依存してうまれる幻、ということだ。「彼氏」は相手がいてはじめて成立する。 「彼氏そのもの」は、存在しないのだ。 「彼氏」「彼女」というのは、お互いの心のなかにある「幻」なのだ。
- あなたとの関係しだいで、「コップ」はどんどん変化する。 花をさしたら「花瓶」になる。 売りたいなら「商品」になる。 捨てたいなら「ゴミ」になる。
- 水をのむってことは、 「雲」が「自分」になるってこと。 「雨」が「自分」になるってこと。 「山」が「自分」になるってこと。 「川」が「自分」になるってこと。
- 空」の哲学から学べることはなにか? 「すべての悩みは成立しない」 ということなのだ。 「空」の哲学からいえること。 それは、 自分の「かわらない本質」は、存在しない。
- かわらない本質というものは存在しない。「 空」なのだ。 たとえば「善い」ヒーローになりたいなら、かならず「悪い」人を必要とする。
- 「強い/弱い」 「善い/悪い」 「有る/無い」 ぜんぶ、フィクションである。 フィクションの世界をでてしまえば、そこは「 空」。 すべてがつながってる「縁起」の世界なのだ。
- インドで「 空」 の哲学がうまれて、 中国では「 道」 の哲学がうまれた。
- インドの哲学は、「この世界はクソ!」だと思っている。 もう二度と生まれかわりたくない。 この世界から「解脱」するのがゴール。 一方、中国の哲学は、「この世界はサイコー!」だと思っている。 だから仙人みたいにめっちゃ長生きしたい。 この世界を「楽しむ」のがゴール。
- 老子は、「 無為自然」の生き方を説いた。 といわれている。 超ざっくりいうと「ありのままでいい」 ということだ。
- 老子と荘子 ───「ほぼ草」と「無職」。 このふたりが、「ありのままでいい」と確信できる哲学。
- からっぽだからこそ満たされる。 からっぽだからこそ、「 道」とつながれるのだ。 老子は「ほぼ草」。 荘子は「無職」。 からっぽすぎる。
- インドは「論理」 を重視した。中国では「経験」 を重視した。 「言葉をこえる」には、どうしたらいいか?
- 仏教の哲学は、インド → 中国 → 日本につたわった。 そして、日本で破壊的な進化をとげたのだ。どれくらい破壊的に変化したか? クラシック音楽が、ヒップホップになるくらい。 ブッダもびっくりの超進化なのだ。
- 悟れないことを認めると、 「空」のほうからこっちにやってくる。 まさに逆転の発想。 これが「他力」 の哲学なのだ。 親鸞すごい。
- 自分を「正直者」と思ってる人は、全員「嘘つき」 自分を「嘘つき」と思ってる人は、全員「正直者」
- 親鸞よりも空海をうしろで紹介するのは、ふつう変だ。 しかし、空海がつたえた「密教」は、仏教の最終形態。いわば 究極の哲学 だから、あえてラストにもってき
- 空海は、当時、世界一栄えていた唐(中国)に留学した。 最先端の仏教「密教」を、一番すごい寺・青龍寺で学んだ。 そこで、空海は「密教」を3ヶ月でマスターしてしまった。 さらにお寺のトップに、「密教」の正式な後継者として指名されたの
- 日本」とかいう謎の国の留学生が、たった3ヶ月の修行で、後継者に指名された。
- 紹介してきた哲学者たちは、どんなポジションにいるだろうか。 ブッダ 王子時代なら、教室のはしで窓の外をながめているタイプ。 龍樹 クラスメートはおろか先生まで論破する、超面倒なタイプ。 老子 そもそも教室にいない。校庭で草と同化している。 荘子 一度たりとも学校にきたことがない。 達磨大師 無言。教室の後ろの壁にむかってずっと座っている。 親鸞 テストでわざと0点をとりつづけて退学になった。 このように、誰一人として「陽キャ」はいない。
- 空海は、「空」「海」「太陽」そのものになった、 究極の「陽キャ」だ。
- なぜ密教は「欲」を肯定するのか? 「欲」を、「もっとでっかい欲」にしちゃおう、というのが密教のスタンスだ。 「大欲」 という。 「お金をいっぱいゲットしよう」もいいけど、 「お金をいっぱいゲットして、いっぱい人をたすけよう」と、でかく考える。 すると、でっかい自分、「大我」になる。
