ボケた爺ちゃんがボクに白衣を着せた!

2016-02-22

平成27年12月に発売した
親ゆびを刺激すると脳がたちまち若返りだす!』が
10万部を突破しました。
そのお蔭で、取材を受けることが増えてきました。
その際に、親ゆび刺激法に至った経緯を良く聞かれます。
今回は、そんな経緯を紹介します。

1975(昭和50)年頃、
私が小学校高学年から中学3年生になるまで、
わが家は認知症の祖父を抱えた家族でした。
当時はちょうど、有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」が話題になっていた時代。
認知症という病気について世間の理解は乏しく、
医師自体もこの病気についてよくわかっていない時代でした。
もちろん介護保険制度もなく、社会的な整備も不十分な時代です。
そんな環境ですから、認知症患者を抱える家族の苦労は、
今とは比べ物にならないくらい大きいものでした。
正直なところ、「祖父さえいなければ……」と思ってしまったことも何度かありました。
しかし、祖父を看取った後、私は強い後悔の念に苛まれることになります。
「どうして自分はいい孫になれなかったんだろうか……」
「自分にも、もっとできることはなかったのか……」
そんな想いが私を突き動かし、医師、
なかでも認知症を診る神経内科医の道へと向かわせたのです。

認知症の患者さんの診療では、医学的な面だけでなく、
介護的な視点や社会的な視点が必要です。
単に診断をして治療をするだけでは、
ご本人やご家族の“困りごと”を解決することはできません。
適切な介護認定をして、その人に合った介護サービスを提案する必要があります。
もちろん、ご家族の介護力を忘れてはいけません。
講演などのアンケートで、
『長谷川先生の視点は、ご家族に偏り過ぎている』と指摘されることもあります。
これも、やはり認知症の元家族であったからかもしれません。
しかし多くの方は認知症になったら、
自分のこと以上に家族には迷惑をかけたくないと思うのではないでしょうか?
そんな思いから2000年4月に開業
3年目には、デイサービスを創ったのです。


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