「先生、もう限界です」認知症外来では、ご家族が涙ながらに訴えられることがあります。毎日怒鳴られる。夜中に何度も起こされる。一生懸命お世話をしているのに、「財布を盗った」と責められる。
そして、最後にこう尋ねられます。「これが、これからずっと続くのでしょうか?」私は、そのようなご家族にお伝えしています。「今のつらい状態が、この先ずっと同じように続くとは限りません」認知症は、多くの場合、進行していく病気です。しかし、病気の進行と介護の大変さは、必ずしも同じように右肩上がりになるわけではありません。今、目の前の介護に精いっぱいの方にこそ、知っていただきたいことがあります。
目次
第一章 家族の心が疲れ切ってしまう「秋」
私は、認知症の経過を「春・夏・秋・冬」という季節に例えて説明しています。これは、病気と暮らしの変化を、ご家族にイメージしていただくための私なりの伝え方です。その中で、興奮や妄想などが目立ち、ご家族の負担が特に大きくなる時期を「秋」と表現しています。「お前が財布を盗ったんだろう」そう言って、毎日世話をしている娘さんを責める。誰もいない場所を指して、「知らない人がいる」と怖がる。夜中に外へ出ようとしたり、着替えや入浴を強く拒んだりすることもあります。
こうした症状は、認知症の行動・心理症状、いわゆるBPSDと呼ばれます。ただし、すべての方に同じ症状が出るわけでも、決まった順番で現れるわけでもありません。同じ質問に繰り返し答えることも大変です。そこに暴言や不眠が重なると、ご家族は休む時間も、気持ちを立て直す余裕も失ってしまいます。「病気だから仕方がない」と頭では分かっていても、責められれば傷つきます。腹が立つこともあるでしょう。それは、愛情が足りないからではありません。介護する人にも、心と体の限界があるのです。
第二章 今の激しさが、そのまま続くとは限りません
介護がつらいとき、ご家族を苦しめるのは、今日の出来事だけではありません。「これが来年も、5年後も続くのだろうか」そんな、先の見えない不安です。しかし、認知症の症状には波があります。私の診療経験でも、以前は強く怒っていた方が、経過とともに穏やかになり、ご家族から「ずいぶん落ち着きました」と聞くことがあります。その背景には、治療や環境調整の効果だけでなく、病気の進行や加齢に伴う活動性の変化など、さまざまな要因があります。
ただし、「年を取れば必ず落ち着く」「1~2年で終わる」と約束できるものではありません。症状の種類や続く期間には、大きな個人差があります。また、興奮が減った後に、食事や移動など別の介助が必要になることもあります。それでも、今のつらさが、そのまま未来のすべてを決めるわけではないということは、お伝えしたいのです。
そして、これは「落ち着くまで我慢してください」という意味ではありません。眠れない夜や暴言に耐え続けていたら、その前に介護する方が倒れてしまいます。必要なのは、先を信じて耐えることではなく、今の負担を軽くするための支援です。
第三章 医療と介護の力を借り、薬も見直していく
興奮や介護拒否が強くなったとき、まず確認したいのは、その方が何に困っているかです。痛みや便秘はないか。眠れているか。周囲の声かけや環境に、不安を強める要因はないか。薬の影響はないか。急な変化であれば、感染症やせん妄などの確認も必要です。本人の苦痛を減らすことが、結果としてご家族の負担を軽くする場合もあります。
そのうえで、症状によっては薬の力を借ります。本人や周囲の安全が脅かされる場合や、幻覚・妄想などによる苦痛が強い場合には、効果とリスクを検討し、抗認知症薬メマリーや漢方の抑肝散、さらに抗精神病薬を慎重に使うこともあります。大切なのは、薬で眠らせることを目的にしないことです。本人の苦しさを和らげ、安心して暮らせる状態を目指します。そして、一度始めた薬を、そのまま飲み続けるとは限りません。
症状が落ち着いたら、「今も必要か」「量を減らせないか」を見直します。特に抗精神病薬は、眠気やふらつきなどの副作用に注意し、必要最小限の使用を心がけます。自己判断で中止せず、処方医と相談することが大切です。薬と同時に、デイサービスやショートステイも活用してください。必要なら、施設への入所も選択肢になります。家族が休める時間をつくることも、介護を続けるための大切な支援です。
おわりに
介護の真っただ中にいると、今日がつらすぎて、明日も同じに思えてしまいます。しかし、患者さんの状態は変化します。必要な支援も、家族との関わり方も変わります。今の介護の形を、いつまでも続けなければならないわけではありません。
私が「秋はずっと続きません」とお伝えするのは、ご家族に我慢を求めるためではありません。今の苦しさだけで、この先のすべてに絶望してほしくないからです。「もう限界です」は、支援を求めてよい大切な言葉です。
どうか、その気持ちを主治医やケアマネジャーに伝えてください。本人の暮らしを守ることと同じように、介護する方の生活を守ることも大切です。一人で耐えるのではなく、医療と介護の力を借りながら、次の季節へ進んでいきましょう。

認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。