「この方の人生を、朝のドラマでどこまで描くのだろう?」宇野千代さんの『生きて行く私』を読みながら、何度もそんなことを考えました。NHKの連続テレビ小説『ブラッサム』の主人公のモデルとなった作家です。本書は、その波乱に満ちた人生を本人の言葉でたどる自伝です。
四回の結婚に加え、さまざまな男性との出会いと別れ。事故による大きな障害、自死、病死など、胸が痛む出来事も登場します。男性の立場で読むと、正直、ドキドキする場面の連続でした。
ところが、読み終えて残ったのは、恋愛遍歴への驚きだけではありません。失敗や喪失を経験しながら、それでも自分の人生を面白がる。その力に、すっかり引き込まれました。
目次
1.恋愛も別れも、自分の人生として語る
宇野千代さんの恋愛には、こちらの常識が追いつきません。尾崎士郎、東郷青児、北原武夫。文学や美術の世界で知られた人物たちが、作品の中の名前ではなく、生活を共にした男性として登場します。
とりわけ驚いたのは、『徹子の部屋』でのエピソードです。黒柳徹子さんに乗せられ、男性たちと「寝た」ことまで話してしまう。それを黒柳さんが、まるで昼寝の話のようだと笑ったというのです。
普通なら、言葉を濁したり、もっともらしい説明を加えたりしそうです。しかし宇野さんは、食事や旅行の思い出を話すような調子で語ります。そのあっけらかんとした様子に、驚きながらも笑ってしまいました。
もちろん、恋愛のすべてが明るい思い出ではありません。ピストルによる自死を知らされたときの衝撃や、病に伏した梶井基次郎への思いには、読む側も胸が詰まります。ただ、これらの悲劇を宇野さんとの関係の結果として片づけることはできません。それぞれの人生の重さがあるからです。
また、置き去りにした夫を思い返す文章には、悔いや後ろめたさも見えます。自由に生きた人にも、消せない記憶がある。そこに、人間としての奥行きを感じました。
2.奔放な人生を支えていたのは、働き続ける力
恋愛の印象が強い宇野さんですが、私が共感したのは、十六歳で教師になって以来、何かしらの仕事を続けてきたという姿勢です。縫い物の賃仕事も、食堂の給仕もする。作家になってからも、雑誌づくりや着物のデザインに取り組む。自分の暮らしを、自分の仕事で支えようとする力がありました。
教師時代の話も印象的です。勉強ができないと思われていた子どもが、褒められることで力を発揮する。本人が「自分にはできない」と思い込んでいただけなのではないか、という気づきです。
一方、創作については、毎日机の前に座ることの大切さを語っています。自由奔放な人だからこそ、ひらめきだけで書いていたのかと思えば、実際には地道な積み重ねがある。この組み合わせが魅力的でした。
麻雀に夢中になった年月さえ、仕事に使えばよかったとは考えない。その楽しみを教えてくれた人に感謝する。仕事も遊びも、自分が生きた時間として引き受ける姿勢には、見習いたいものがあります。
3.幸福のかけらを見つけることが、生きる力になる
本書で最も心に残ったのは、小さな幸福を見つけ、それを自分の周りに集めて生きるという考え方です。宇野さんには、実母との早い死別や、家庭の複雑さ、恋愛の破綻、経済的な苦労がありました。それでも、自分の人生を不幸の一言で説明しません。大切に育ててくれた継母への愛情も、繰り返し語られます。
両手を失った人について、障害があっても幸福になる権利があると受け止める文章にも共感しました。大きな困難があることと、その人の人生に喜びがなくなることは、同じではありません。
認知症の診療でも、失われた能力に目が向きがちです。しかし、好きな音楽を聴く時間、家族と笑う瞬間、気に入った服を着る喜びは残っているかもしれません。その人にとっての幸福を、一緒に見つけたいと思います。
宇野さんのお洒落への姿勢も素敵です。年を取ったからと身なりを諦めず、装うことで気持ちに張りを持つ。年齢を理由に楽しみを減らさない。その態度に、医師としても元気をもらいました。
ただし、苦しむ人に「考え方を変えれば幸福になれる」と押しつけたいわけではありません。宇野さんの言葉は、まず自分自身に向けて受け取りたい。今日の暮らしにある小さな喜びを、見落としていないだろうか、と。
おわりに
『生きて行く私』は、男性としては少々落ち着かない本でした。それでも最後には、人生をもっと楽しんでよいのだと、背中を押された気がします。過去に失敗があっても、年齢を重ねても、今日の楽しみを見つけてよい。仕事に打ち込み、お洒落をし、誰かを好きになる。その気持ちまで引退させる必要はありません。
私もこれから、幸福のかけらを見つけるのが上手な人でありたい。そして周囲の人にも、明るい気持ちが伝わるように生きたい。波乱万丈な自伝から、そんな願いをもらった一冊でした。


認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。