東京電力は事故発生後から多くの非難を受けています。しかし、門田隆将さんの書いた、先日亡くなられた吉田昌郎ら当事者たちの語った「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」からは、強い責任感を感じます。現場で奮闘した多くの人々の闘いに敬意を表する必要があると感じました。本の中から、いくつか紹介します。
①海水注入なんて、すぐにできるわけでない。どんな気持ちで水を見つけ、そして進路を確保してやっているのか?頭で考えるよりも、時間はいくらでもかかる。
②非常時の手順を追いかけていけば、ベントというのは必ず出てくる。自分自身の覚悟はできていたが、運転員に命はかけさせないと決めていた。そんな中での人選の指令が来た。
③近づいてもただのコンクリートの壁に見えるが、これが破壊された時、運転員たちの戦いが『敗北』したことを表す。すなわち、放射能の飛散だ
④覚悟を迫るというのは、最後までできることはやらなくちゃいけないということです。原子力がこういう事態になった場合、生半可な事じゃ終わらない。最後の事態に直面したら、それを最小限に抑えるために、最前線に立つものが犠牲になっても、やらなければいけないことがある。
⑤地震発生以来、一睡もせずに復旧にへの対策を練り、現場に実行させている吉田所長は、自らの足を引っ張る様々な「相手」と闘わなければならなかったのである。
⑥私はあの時、自分と一緒に“死んでくれる”人間の顔を思い浮かべていたんです“
⑦原子炉を放置したら、避難対象が250km。これは、青森を除いて、東北と関東全部と新潟の一部まで入る。そこの人口は5千万人。
⑧全部でどれだけの炉心が溶けるかという最大を考えれば、第一と第二で計十基の原子炉ですから、“チェルノブイリ×10”という数字がでる。そうなれば、日本は“3分割”されていたかもしれない。汚染によって住めなくなった地域と、それ以外の北海道や西日本の3つです。
最後に、門田さんのあとがきから抜粋します。“太平戦争の主力であり、二百万人を超える戦死者を出した大正生まれの人々を、私は「他人のために生きた世代」と捉え、それと比較して現代の日本人の傾向を、「自分のためだけに生きる世代」として論評していた。しかし、今回の不幸な原発事故は、はからずも現代の日本人も、かつての日本人と同様の使命感と責任感を持ち、命を賭けてでも、毅然と物事に対処していくことを教えてくれた。”
是非一読されることをお勧めします。