【お薦め本の紹介】会社という迷宮――経営者の眠れぬ夜のために

【お薦め本の紹介】会社という迷宮――経営者の眠れぬ夜のために

多くの経営者は、時に「眠れぬ夜」を過ごします。そんな時には、この本を読むと、やる気と勇気が湧いてきます。しかし、私自身がコンサルをしていると、「この経営状況でよく眠れる?」という人ほど良く眠っているから不思議です。

  • 人は、自分で「わかる」ことによってしか、本当の意味で「わかる」ことができない。ましてや、行動に移すことなどできない。逆に「わかれ」ば、ほとんどの場合行動できる。
  • 「やり方」などないときに「役に立つ」のは、日常の中ではほとんど顧みられることもないこと、むしろ普段は「役に立たない」こと
  • すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる
  • クライアントとコンサルタントの真剣勝負の対話では、最終的にはいつもそのバックボーンとなる「会社」観や「経営」観のせめぎ合いだった。
  • どうやってこのゲームに勝ち残るかは考えていても、なぜこのゲームを始めたのか、何のためにやっているのかには、いつしか無頓着になっていく。
  • 夢と志を持った人間の営為である「商売」や「会社」が、その図体の大きさと反比例するように、ただゲームの参加者へと矮小化され始める瞬間
  • 「会社」は自分たちの夢や志を体現するものではなく、逆に自分たちをただただ「会社」の利益に奉仕する存在へと変容させてしまった
  • 改めて原点に立ち返れば、「会社」とは競争をするために生まれてきたものではない。
  • 何が「価値」であるのか、を決めるのが「経営者」の仕事なのであって、他人に決められた「価値」を追求するのが仕事ではない
  • 事後的に分析し説明される「戦略」と、現実の時間の中で事前に「構想」される「戦略」との根本的な違いは、前者は広く共有されるべくわかりやすく論理立てて説明されるものであるのに対して、後者は未知で複雑な可能性を持つ将来に向けた仮説であって本源的にわかりにくいもの
  • 「戦略」は深みを覗いた人間が、そこに見出した何かに挑もうとする強靭な「意志」と「信念」の産物である。「意志」のないところに「戦略」はなく、その人間の「信念」に深さがなければ、そこに優れた「戦略」は生まれない
  • その会社が、何を提供し、何をどう変え、世の中にどう貢献し、どういう顧客を創り出し、どういう会社になるか……そうありたい、そうあるべきだとの考えが「価値観」の核心
  • 「利益」とは、日本人にとっては元来「御利益」、つまり「りやく」であった。 明治以降、“profit”の訳語に当てられたものと推察されるが、本来なら“benefit”のほうに、より近い意味の語であったろう。
  • 「成長」を継承する概念としては、本来「成熟」。しかし、うまく「成熟」できなければ、それはただの「停滞」もしくは「未熟」
  • 「会社」にとって「成長」が止まってしまうことは、停滞という死に至る病だと思い込まされているかもしれないが、その有機体に適したサイズを超えて永遠に大きくなり続けようとする「膨張」願望こそ、実は本当の病であると認識すべき
  • 今は「伸ばすとき」「背伸びするとき」「動くとき」という時期と、今は「こらえて耐えるとき」「屈んで立て直すとき」「じっと動かないでいるとき」という時期を、直感的に識別しているものだ。それが経営感覚ともいうべき
  • 「うちの社員はなかなか変わらない」「育たない」と嘆く経営者は多いが、社員をそうさせているのは当の経営者でもあるという当たり前のことに目が向けば、「改革」の最終的な必須要件とは、結局のところ、経営者自身が変わる覚悟なのだと気づく
  • 経営者は「人材」が育たないことをしきりに嘆いているが、それは、「組織」が「人材」を活かせていないということに、ほぼ等しい。
  • 最も好ましい研究環境を一口で言えば〝組織化された混沌〟とでも表現せねばならない。
  • コンサルタントは、「使う」ものではない、ということである。医者に対して、医者を使う、という言い方(捉え方) をしないのと同じこと
  • 経営で何より大切なことは何か、と問われれば、それは「信義」であると答えたい。 「信義」とは、企業活動の土壌である。 土壌がよければ豊かな実りも生まれる
  • 「どうしたら成功できるか」ではなく、「どうなることを成功と考えるか」という自己定義
Amazon紹介ページ

 

長谷川嘉哉監修シリーズ