先回、池井戸潤さんの『七つの会議』を紹介しました。
読んでいてサラリーマンの悲哀を感じましたが、登場人物と自分自身の視点が違っていることを感じました。
昔、堀江貴文さんが『どんな大企業の社長であっても雇われの身で見える風景と、どんな小さな企業でもオーナ経営者として頂上から見える風景は異なる』と言っていました。
やはり、気楽な雇われの身と、潰れれば全責任が自身に降りかかる身とは、厳しさが異なるのだと思います。
私も、多くのサラリーマンの方と出会う機会があるのです、年齢関わらず何か幼さを感じてしまうのです。
特に、税金の話でもすると、源泉徴収に慣れているサラリーマンは、情けなくなるほどの無知ぶりです。
さらに、自身の責任で契約することなど自宅の購入をするとき程度のサラリーマンでは、法務の知識も皆無に近いものです。
顧問弁護士を雇い、常に法務で自身の安全を保全しようという緊張感すらありません。
そして、本来雇われの身として、知っておかねばならない労務の知識などは、“人から聞いた耳学問”のレベルであり、社会保険労務士と定期的に情報交換するようなことは考えられないのでしょう。
そのため、年はとっているが“幼い”と感じてしまうのです。
逆に、自身は経営者として“修羅場”を経験しすぎたのかもしれません。
ところで、池井戸さんの小説の中では、多くの登場人物が、何気なく学生生活を過ごし、何気なく就職活動をして、何気なく就職をしています。
実は、これが根本的な問題でないでしょうか?
今の時代、よっぽどの有名大学以外は、学歴だけで生きていくことは不可能です。
そこのレベルに達しない人間は、手に職をつけるしかないのです。
医療介護業界であれば、医師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、社会福祉士、介護福祉士。
文系であれば、会計士、税理士、弁護士、司法書士、行政書士、社会保険労務士などを目指す人間は、何も考えずに遊びほけている学生を横目に、努力しているのです。
もし、資格があれば、会社における不正に対して堂々と辞表を叩きつけることができるのです。
それができない人間は、ある意味“若い頃に汗を流さなければ、大人になって涙を流す”なのです