【お薦め本の紹介】なぜ働いていると本が読めなくなるのか

【お薦め本の紹介】なぜ働いていると本が読めなくなるのか

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という一点から、書籍の歴史から、これから目指すべき社会の提言までされている凄い本です。作者が提唱する「半身で働く社会」とは、働いていても本が読める社会なのです。納得です。ちなみに、本の中で紹介されている映画『花束みたいな恋をした』を観ていたのでより理解できました。

  • そういえば私、最近、全然本を読んでない!!! 本を読む時間はあるのに、スマホを見てしまう
  • 今を生きる多くの人が、労働と文化の両立に困難を抱えています。働きながら、文化的な生活を送る――そのことが、今、とっても難しくなっています。
  • あなたの「文化」は、「労働」に搾取されている
  • 生活するためには、好きなものを読んで何かを感じることを、手放さなくてはいけない。そんなテーマを通して若いカップルの恋愛模様を描いた映画『花束みたいな恋をした』は、2021年(令和3年) に公開され、若者を中心にヒットした。
  • 「休憩」とは「新聞・雑誌・ラジオ・レコード・運動など」としている。一方「読書」は「勉強・教養」に入る。
  • ミリオンセラーと長時間労働サラリーマン  しかし少なくとも1980年代、出版業界の売り上げはピークを迎えつつあった。
  • 70 年代には1兆円の売り上げだった出版業界が、 90 年代初頭には2兆円を超える。ほとんど倍の盛り上がりだ。出版業界倍増計画の時代、それが 80 年代だった。
  • 平日の長時間労働が増えた結果、余暇が減っていたのである。働く男性たちは、どんどん余暇がなくなっていく。  はたしてなぜ 80 年代には、長時間労働も増えているのに、読書文化もまた花開いているのだろう。  考えてみれば、バブルという華やかな時代の印象と、読書という地味なメディアの印象は、どうにもずれているような気もしてくる。
  • 70 年代のベストセラー文芸が松本清張や小松左京といった社会と自分の関係をしっかり結んでいる作家の作品だったのに対し、 80 年代ベストセラー文芸は、「僕」「私」の物語を貫き通す。
  • 80 年代、世帯単位では「書籍離れ」がたしかにはじまっていた。
  • 読書離れが起こるなかで、自己啓発書は読まれたのだろうか。というか、読書離れと自己啓発書の伸びはまるで反比例のグラフを描くわけだが、なぜそのような状態になるのだろうか。  そういえば『花束みたいな恋をした』の麦も、自己啓発書は、読めていたのだ。
  • 自己啓発書はノイズを除去する
  • 自己啓発書の特徴は、自己のコントローラブルな行動の変革を促すことにある。つまり他人や社会といったアンコントローラブルなものは捨て置き、自分の行動というコントローラブルなものの変革に注力することによって、自分の人生を変革する。それが自己啓発書のロジックである。
  • 本を読むことは、働くことの、ノイズになる。  読書のノイズ性――それこそが 90 年代以降の労働と読書の関係ではなかっただろうか。
  • ノイズのない「パズドラ」、ノイズだらけの読書
  • 対して読書は、何が向こうからやってくるのか分からない、知らないものを取り入れる、アンコントローラブルなエンターテインメントである。そのノイズ性こそが、麦が読書を手放した原因ではなかっただろうか。
  • 90 年代以降の〈経済の時代〉あるいは〈行動の時代〉においては、社会のことを知っても、自分には関係がない。それよりも自分自身でコントロールできるものに注力したほうがいい。そこにあるのは、市場適合あるいは自己管理の欲望なのだ。
  • インターネットは、ノイズのない情報を私たちに与えてくれる。
  • インターネット的情報と自己啓発書の共通点は、読者の社会的階級を無効化するところだ。
  • 情報とは、ノイズの除去された知識である
  • 情報」を求める人に、「知識」を渡そうとすると「その周辺の文脈はいらない、ノイズである、自分が欲しいのは情報そのものである」と言われるだろう。
  • 読書は欲しい情報以外の文脈やシーンや展開そのものを手に入れるには向いているが、一方で欲しい情報そのものを手に入れる手軽さや速さではインターネットに勝てない。
  • 早送りで映画を見る人たちの目的は「観る」ことではなく「知る」こと
  • 読書もまた同様に以下のような区分が可能になる。 ① 読書――ノイズ込みの知を得る ② 情報――ノイズ抜きの知を得る (※ノイズ=歴史や他作品の文脈・想定していない展開)
  • 社会学者の上野千鶴子は、「全身全霊で働く」男性の働き方と対比して、女性の働き方を「半身で関わる」という言葉で表現した。  身体の半分は家庭にあり、身体の半分は仕事にある。それが女性の働き方だった。
  • 仕事は、男女ともに、半身で働くものになるべきだ。
  • 私が提案している「半身で働く社会」とは、働いていても本が読める社会なのである。
  • 日本に溢れている、「全身全霊」を信仰する社会を、やめるべきではないだろうか?
  • みんなが「半身」で働ける社会こそが「働きながら本を読める社会」につながる。
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