【お薦め本の紹介】天国と地獄 – 選挙と金、逮捕と裁判の本当の話 by 河井あんり

【お薦め本の紹介】天国と地獄 – 選挙と金、逮捕と裁判の本当の話 by 河井あんり

事件が報道されていた当時、私は河井夫妻のことを「なんてひどい人たちなのだろう」と思っていました。しかし今振り返ると、それはマスコミなどによる一種の“洗脳”だったのかもしれません。そう考えると、現在も世間から厳しく非難されている人々の中には、同じように誤ったイメージを植え付けられている人もいるのではないか――そんな疑問が湧いてきます。そうした中で、勇気を持って本を出版された河井あんりさんには、敬意を表したいと思います。

  • 結婚当初、夫の精神的DVがあった。夫は些細 なことでも、天にも響くような大声を出して、私を怒鳴りつける。
  • その際、憎々しげに、 「あんたのお里が知れるよ」 などと言って、私の育ちを蔑んだりする。
  • 私があまりにも頻繁に逃げ出すので、私に対しての夫のモラハラは徐々におさまっていったが、それ以降も、秘書に対しての接し方が凄まじい。
  • その後、夫は全てを失い、刑務所での受刑を経た。そして人間性を取り戻した。いつしかお皿洗いやお風呂やトイレの掃除も黙々とするようなひとになっている。
  • 男たちが固まると実に恐ろしい。男性は、女性よりはるかに陰湿で、粘着質で、相手を見下そうと躍起になる。
  • 徹底的に干され、敵対視され、ありていに言えば権力闘争に負けたとき、どのように生きるべきか。相手にお腹を見せて服従するのか、そこで撤退するのか、快楽に逃げるのか。
  • 私は自分が捕まるまで捜査機関の公平性を信じる思いが強かったが、実際には公訴権は捜査機関上層部の一存で発動されるものであり、そこに公平性など存在しない。
  • 法治国家であるのに、同じ行為をしながら検察の裁量によって罪に問われたり問われなかったりする。恐ろしいことである。しかし、グレーゾーンの行為だからそういうことが起きうるのだ。
  • 役所から情報が入り放題の自民党の政調のレベルは高いし、部会に出れば、議員がよく勉強していることが分かる。
  • 官僚主導で政策を作っている限り、野党の能力が向上することはないだろう。
  • 検事になるのは、学生時代に司法試験に合格してすぐに検察庁に就職するような、優秀だが世間の狭い人たちであるので、人間の底が見えることがある。
  • 私は生まれて初めて手錠をかけられ、腰縄を付けられた。これがあの、村木厚子さんが屈辱を感じられた腰縄か、と思った。茶色く変色した使い古されたような、でも丈夫そうな縄だった。
  • その場で前屈するように言われる。秘部に何か隠し持っていないか確かめられるのだ。
  • ここで羞恥心を抱いて心が折れるような人も中にはいるのかもしれないけど、こっちだって平素から、有権者の飼い犬相手にだって土下座することも厭わぬ生活を20 年も送ってきているのだ。羞恥の場数が違う。私はこの時ほど、自分のそれまでの人生に感謝したことはなかった。
  • 苦しみこそが、恩寵なのである。  私は一挙に幸福感に包まれ、この気持ちがあればこれからの全てのことを乗り切れる、と自信を持って、掛け布団を顎の下まで引き上げた。
  • 拘置所の生活で精神がやられないようにするには、人間としての品格を保つことだ、と私は思ったのだった。
  • 何せ、拘置所に入っている時点で、もう人間として落ちぶれているのだ。せめて、毅然として生きていこうと思った。体を鍛え、頭を鍛え、礼節を忘れない。
  • これから調べが始まるけれど、それはもう、私を有罪にするために、すでにシナリオができ上がっているのだろう。そしてそれは「検察の温情」で、執行猶予なのだろう。私も裁判所も、そのシナリオの中で決まった振り付けを演じる、役者みたいなものなのだ。
  • 法に反しているであろう夫を擁護することは、社会的な観点からは許されないことのように思えた。それで私は、夫を擁護するのと引き換えに、彼に対する社会からの糾弾の半分を、自分が引き受けると決めたのだった。
  • 本来、選挙買収の罪は、対向犯といって、お金を渡した方と受け取った方は、共犯となる。だが今回は、私と夫が逮捕されたのに対し、被買収側には一切、捜査の手が及んでいないのだ。むしろ検察は、被買収議員らを、一貫して、私たち夫婦による被害者のように扱っているのである。
  • 選挙買収は司法取引が許される特定犯罪ではないから、司法取引が行われていれば違法捜査となる。
  • なぜ、全国の市町村議会議員に至るまで、ウグイス嬢の報酬を3万円以上払っているらしいのに、私だけが問題にされたのか。陣中見舞いをあげることは通例なのに、なぜ私だけが公選法違反の買収と言われているのか。いったい、検察の内部で何が起きているのか。
  • 一部の報道機関は、夫の大臣就任が、検察人事の改革を進めるための人事であったと報じた。稲田検事総長は官邸、そして夫に対して敵意を剝き出しにし、検察の士気は相当なものであったと伝え聞いている。
  • 検察は立件するかしないかの重要な決定権を握っているが、自分たちに都合の悪い証拠がある場合には、証拠の存在そのものをなかったことにする。 10 のうち、7つの証拠が検察にとって都合が悪ければ、検察は残りの3つだけを表に出して、事件化するのである。
  • のちに夫が拘置所、刑務所と身柄を拘束されて、私も面会に行く立場になったとき、収容されているより外にいて待つ者の方がどれだけ辛く悲しいことかを知った。
  • 私の選挙に関して、正しいものは一つもなかった。私の陣営には不正があった。私を捕まえた検察にも不正がある。そして、正義と公平の 砦 のように信じていた裁判所さえも正しくないのだ。
  • 司法の場は、検察を頂点に、何もかもがお互いにもたれ合っていて、正しいものがひとつもない。
  • 私たちの弁護団が当初から指摘していた違法な取り調べが、現実に行われていたのだ。
  • 「買収と認めるならば、議員の身分を保障してやる(つまり、起訴しない)」というのは、いわゆる司法取引である。
  • 検察以上に問題なのが、裁判所である。裁判所は、プロ意識と能力に、圧倒的に欠けている。検察庁が「有罪判決が得られる高度の見込み」を持って起訴している以上、有罪に違いない、として検察の見立てに完全に便乗しているのだ。司法としての矜持はないのだろうか。
  • 逮捕や起訴、裁判など、自分には関係のない遠い話だと思っている国民がほとんどだろう。だが普通に暮らしていても、検察がその気になりさえすれば、逮捕されうるのだ。
  • 世の中は、私たちが思っているより、はるかに、寛容である。世の中を信じれば、きっと何とかなるものなの
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