「料理が上手い女性」と聞くと、家庭的で献身的、あるいは器用で段取りの良い人を思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし、桐島洋子さんの著書『聡明な女は料理が上手い』が語るのは、そのような表層的な意味での料理上手ではありません。本書は、料理という日常的な行為を通して、「知性とは何か」「自立とは何か」を問い直す、極めて思想的な一冊です。
目次
1.料理の上手さとは、判断力である
桐島洋子さんが言う「料理が上手い」とは、特別なレシピを知っていることでも、凝った料理を作れることでもありません。限られた材料、限られた時間、限られた体力の中で、その時点での最適解を判断し、形にできる力のことを指しています。
冷蔵庫に残っている食材を見て献立を決める。相手の体調や年齢、その日の気候までを考えて味付けを調整する。失敗したら、次はどうするかを考える。料理とは、こうした判断と修正の連続です。桐島さんは、この積み重ねこそが知性であり、料理はその最も身近な訓練の場だと語っています。
2.料理ができる人は、生活を自分で回せる人
料理ができるということは、「生きるための基礎を自分で握っている」ということでもあります。誰かが用意してくれなければ食べられない状態は、生活の主導権を他人に預けている状態です。
桐島洋子さんは、女性の自立について語る際、決して観念的な言葉を使いません。経済や思想以前に、「毎日の生活を自分で成立させられるかどうか」が重要だと述べています。料理は、その象徴です。料理ができる人は、環境が変わっても生き延びる力を持っています。
3.便利さが思考を奪うとき
本書では、便利さに過度に依存する現代社会への違和感も語られています。外食や出来合いの食事は確かに便利ですが、そこに慣れすぎると、人は考えなくなります。何を食べるか、どのくらい食べるか、体に合っているかを判断する機会が減っていくからです。
料理には失敗があります。味が濃すぎることも、火を通しすぎることもあります。しかし、その失敗を次にどう生かすかを考える過程が、人を賢くします。料理をしない生活は、判断を外部に委ねる生活であり、思考の放棄につながりかねないのです。
4.料理は愛情の証明ではない
印象的なのは、桐島さんが「料理は愛情の証明ではない」とはっきり述べている点です。料理は、誰かのために我慢して行う奉仕ではありません。まず自分自身の体を守り、生活を整えるための行為です。その延長線上に、家族や他者がいるにすぎません。
この視点は、「女性は尽くす存在である」という長年の固定観念を静かに否定します。料理は自己犠牲ではなく、自立の表現なのです。
5.年齢を重ねることと、料理の成熟
年齢と料理の関係についての記述も、本書の重要なテーマです。若い頃の勢いや見栄ではなく、体調や季節を考え、無理をしない食事を選ぶこと。それは衰えではなく、成熟です。
必要なものを必要なだけ選び取る力。余計なものを削ぎ落とす判断力。料理の変化は、そのまま人生の変化を映し出しています。年齢を重ねるほど、料理はその人の知性を雄弁に語るようになります。
6.本質は、女性だけのものではない
『聡明な女は料理が上手い』は、料理を女性に押し付ける本ではありません。むしろ、料理を軽視してきた社会への静かな反論であり、「自分の人生を自分で引き受けるとはどういうことか」を問いかける本です。
料理とは、生活を整え、身体を整え、ひいては人生を整える行為です。本書を読み終えた後に残るのは、義務感ではなく、「自分の生活をもう一度、自分の手で回してみよう」という静かな決意でしょう。
そして最後に強調したいのは、この本で語られている本質は、女性だけのものではないということです。
自分の生活を整え、自分の判断で生きること。料理を通して培われるこの力は、女であれ男であれ、同じように求められるものです。料理が上手いとは、性別の問題ではなく、「自分の人生に責任を持てるかどうか」という、人としての姿勢そのものなのです。


認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。