先日、インターネットで見つけた“家系図作成本舗”で家系図作成を依頼して、先日完成して無事届きました。
家系図は通常両親の父方と母方の4系統(4つに苗字)を調べることになります。
家系図を作って、初めて知る名前のご先祖様を見つけたり、親戚一同の名前が並んでいる光景を見るのは、とても感慨深いものです。
家系図やご先祖の情報をまとめた資料を見ながら、両親の記憶がつながることがありました。
いただいた資料を見ていくつか紹介します
①戦前までは家督制度があったため、戸籍に家督を相続したことや、隠居したことが記載されていました。
②4系統のうち、長谷川の家系は、長谷川彦八さん(文政7年7月12日(1824年)生まれ)まで追うことができました。
さらに、生年月日は不明ですが、彦八さんのお父さんの名前も、長谷川惣兵衛さんであることがわかりました。
ちなみに私は長谷川惣兵衛さんから6代目になります。
約200年前の先祖さんの名前が分かったことは感激でした。
③私の、曾祖父である長谷川金次郎(明治16年12月1日生まれ)は岐阜県の海津郡今尾町から名古屋に出てきたことが分かりました。
父親達の話では、1891年(明治24年)に起こった濃尾地震の後に名古屋に出てきたということでした。
いずれにせよ名古屋に出てきた長谷川金次郎さんが、明治時代に名古屋でクリーニング店を営み結構成功されたようです。
今の長谷川の家の礎を作った方です。
④ちなみにそんな長谷川金次郎さんは、3回結婚されていました。
最初と2番目の方はいずれも、若くして病気で亡くなられたようでした。
⑤戸籍の中には、同じ人と結婚して離婚して、再度結婚された方も見えました。
家系図作成により、一気に100人以上の午前祖様を知ることができました。
誰でも20代遡れば、104万8576人の先祖がいる計算になります。
そのうちの一人でも子供を作る前に死んでいれば、皆さんは存在しないのです。
そんなことを、家系図を眺めながら実感しました。
ちなみに、どれだけ遡れるかのポイントは、明治5年の戸籍編製が残っているかです。
幸い長谷川家は、残っていたため200年近くまで遡れました。
最近では、明治5年の戸籍編製はどんどん失われているため早めの依頼がお勧めです。