著者である市川沙央さんは、私が専門とする脳神経内科領域の疾患である先天性筋疾患先天性ミオパチーにより症候性側弯症を罹患し、人工呼吸器を使いながらと電動車椅子を使いながら生活をされています。そんな中、20年以上エンターテインメント系の作品を中心に執筆活動を続け、今回初めての純文学作品「ハンチバック」で見事芥川賞に選ばれました。本の内容は、市川さんならではの視点がちりばめられ、多くの発見があります。
- 歩道に靴底を引き摺って歩くことをしなくなって、もうすぐ30年に
- 今朝も気を抜いて頭を打ったが、悲鳴のための空気は声帯に届く前に、気管切開口にカニューレを嵌めた気道からすうすうと漏れるだけ
- 寝たきり同然の重度障害者女性が年がら年中〈生まれ変わったら高級娼婦になりたい〉とか呟いているアカウントなんてそりゃ皆んな反応に困る
- 「ミオチュブラー・ミオパチーは進行性じゃないからね」が両親のお題目だった
- 息苦しい世の中になった、というヤフコメ民や文化人の嘆きを目にするたび私は「本当の息苦しさも知らない癖に」と思う。
- 障害を持つ子のために親が頑張って財産を残し、子が係累なく死んで全て国庫行きになるパターンはよく聞く。生産性のない障害者に社会保障を食われることが気に入らない人々もそれを知れば多少なりと溜飲を下げてくれるのではないか
- カニューレの穴を塞げば声を出せるが、喉に負担がかかって痰が増すので私は殆ど喋らない
- 私の成長曲線も標準の人生からドロップアウトした時点で背骨とともにS字に湾曲している
- ワンルームマンションの部屋の中の移動であっても私はいつも綿密に行動計画を立ててから立ち上がる。吸引で引ききれない痰が途中で詰まって窒息する危険は常にある
- 厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、──5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。
- 障害支援技術科目の教室授業が録画された講義動画の中で、現役通学生たちは脳性麻痺患者と筋疾患患者の入力装置のニーズの違いが全くわからない。不随意運動のある脳性麻痺患者は固定されていて程よく重いスティックがよい。寝たきりやチルトした筋疾患患者は胸の上でもどこでも自由に置けるようなタッチパッドがよい。
- アメリカの大学ではADAに基づき、電子教科書が普及済みどころか、箱から出して視覚障害者がすぐ使える仕様の 端末 でなければ配布物として採用されない。日本では社会に障害者はいないことになっているのでそんなアグレッシブな配慮はない。
- 本に苦しむ せむし の怪物の姿など日本の健常者は想像もしたことがないのだろう。こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は吞気
- 出版界は健常者優位主義ですよ、と私はフォーラムに書き込んだ。軟弱を気取る文化系の皆さんが蛇蝎の如く憎むスポーツ界のほうが、よっぽどその一隅に障害者の活躍の場を用意しているじゃないですか。
- 生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく。