アルツハイマー病の『種』を発見―認知症は蓄積する前に止められるのか

アルツハイマー病の『種』を発見―認知症は蓄積する前に止められるのか

アルツハイマー病では、「アミロイドβ」というたんぱく質が脳内に蓄積することが知られています。しかし、ここで一つの疑問があります。なぜ、最初はわずかだったアミロイドβが、長い年月をかけて脳の広い範囲に蓄積していくのでしょうか。

国立精神・神経医療研究センター、東京大学、新潟大学、米国マサチューセッツ総合病院などの共同研究チームは、アミロイドβの蓄積を引き起こす「種」のような働きを持つ分子を特定しました。

「ピーク1 Aβ」と名付けられたこの物質は、アルツハイマー病の発症メカニズムを解明し、新しい予防薬や治療薬を開発する手がかりになる可能性があります。研究成果は、国際学術誌『Brain Communications』に掲載されました。

目次

第1章 アルツハイマー病は突然始まるわけではない

アルツハイマー病は、症状が現れた日から突然始まる病気ではありません。現在は、脳内でアミロイドβの蓄積が始まり、次にタウたんぱく質の異常や神経細胞の障害が広がり、やがて記憶力や判断力の低下が表面化すると考えられています。

アミロイドβは、本来、脳内で作られては分解・排出される物質です。ところが、加齢や遺伝的要因、血管障害、代謝異常などが重なると、産生と排出のバランスが崩れ、脳内にたまりやすくなります。その蓄積は、認知症を発症する十数年から20年ほど前から始まるとされています。つまり、物忘れが目立ち始めた時点では、脳内の変化はすでに長期間進行している可能性があるのです。

ただし、「アミロイドβがたまれば必ず認知症になる」という単純な話ではありません。高齢者の中には、アミロイドβが蓄積していても、認知機能が保たれている人もいます。アルツハイマー病は、アミロイドβだけでなく、タウたんぱく質、炎症反応、脳血管障害、神経細胞の抵抗力など、複数の要素が関係する病気です。

第2章 蓄積を広げる「ピーク1 Aβ」とは

今回の研究では、研究チームが高齢のアルツハイマー病モデルマウスの脳から、水に溶ける性質を持つアミロイドβを取り出し、分子量の違いによって三つのグループに分けました。それぞれを若いモデルマウスの記憶に関係する海馬へ注入したところ、分子量が150キロダルトンを超える大きなアミロイドβの集合体だけが、新たなアミロイドβの蓄積を誘導しました。この分子が「ピーク1 Aβ」です。

重要なのは、ピーク1 Aβがアミロイドβとは別の物質ではなく、多数のアミロイドβが集まってできた「可溶性オリゴマー」と呼ばれる集合体だということです。研究では、ピーク1 Aβを抗体で除去すると蓄積を起こす作用が失われ、薬品で立体構造を壊しても作用が消えました。つまり、単にアミロイドβが存在するだけでなく、特定の集合体と構造を形成することが、蓄積を広げるうえで重要だと考えられます。

さらに、アルツハイマー病で亡くなった患者6人全員の脳からピーク1 Aβが確認されました。患者由来のピーク1 Aβを若いモデルマウスに投与しても、アミロイドβの蓄積が誘導されました。雪玉の芯に雪が付着して大きくなるように、ピーク1 Aβが「蓄積核」となり、周囲のアミロイドβを次々と巻き込んでいく可能性があります。

なお、「種」や「伝播」という言葉が使われますが、アルツハイマー病が日常生活で人から人へ感染するという意味ではありません。あくまで、同じ脳内で異常なたんぱく質の蓄積が広がる仕組みを表したものです。

第3章 「たまったものを除く」から「たまる前に止める」へ

現在、日本ではレカネマブとドナネマブという抗アミロイドβ抗体薬が実用化されています。これらは、アルツハイマー病による軽度認知障害、あるいは軽度認知症の段階で使用し、脳内のアミロイドβを除去することで、認知機能低下の進行を緩やかにする薬です。


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一方で、すでに失われた認知機能を元通りにする薬ではありません。また、脳の浮腫や微小出血などの副作用に注意が必要で、MRI検査などを行いながら慎重に使用します。対象となるのも、アミロイドβの蓄積が検査で確認された早期の患者に限られます。

現在の抗体薬が「すでに形成されたアミロイドβを取り除く治療」だとすれば、ピーク1 Aβを標的とする治療は、「蓄積が始まるきっかけを抑える治療」になる可能性があります。将来的には、ピーク1 Aβだけを狙う抗体薬や、その形成を防ぐ薬、脳内での広がりを止める薬の開発につながるかもしれません。

ただし、今回の研究は主にマウスと亡くなった患者の脳を用いた基礎研究です。調べられた患者数も少なく、ピーク1 Aβがいつ形成されるのか、認知機能低下とどの程度関係するのか、血液や脳脊髄液で測定できるのかなどは、まだ分かっていません。

すぐに予防薬が完成するわけではありませんが、アルツハイマー病研究が「たまったアミロイドβを見る段階」から、「なぜ蓄積が始まり、なぜ広がるのかを解明する段階」へ進んだことは、大きな意味があります。

終わりに

今回発見されたピーク1 Aβは、アルツハイマー病のすべてを説明する物質ではありません。それでも、長年分からなかった「アミロイドβ蓄積の始まりと広がり」に迫る、重要な発見です。

アルツハイマー病の治療は、症状が出てから対処する時代から、症状が軽いうちに進行を抑える時代へ変わり始めています。今後はさらに、症状が出る前に異常を見つけ、蓄積そのものを始めさせない治療へ進む可能性があります。

一方で、新薬の登場を待つだけではなく、現時点でできる備えも大切です。運動不足の改善、高血圧や糖尿病の管理、禁煙、難聴への対応、社会参加の維持などは、認知症の発症を遅らせる可能性があります。厚生労働省も、認知症の「予防」とは絶対に発症しないことではなく、発症を遅らせ、発症後の進行を緩やかにすることだと説明しています。

小さな「種」が大きな蓄積へ成長するのであれば、その種が生まれる仕組みを明らかにし、できるだけ早く成長を止める。今回の研究は、アルツハイマー病の本当の意味での予防に向けた、新たな一歩と言えるのではないでしょうか。

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