父が亡くなった時、相続より先に「お母さん」を守ってください

父が亡くなった時、相続より先に「お母さん」を守ってください

今日は、認知症そのものの話ではありません。しかし、認知症外来を長年続け、多くの高齢者とそのご家族を診てきた私だからこそ、どうしてもお伝えしたいことがあります。それは、「お父さんが亡くなった時、お母さんに何を残すのか」という問題です。私はこれまで、ご主人を亡くされた後、一人暮らしになった奥様を数多く診てきました。

そこでよく聞くのが、「主人が元気な頃は、お金の心配なんてしたことがありませんでした」という言葉です。ところが、ご主人が亡くなると状況は大きく変わります。世帯として受け取っていた年金は減ります。退職金もすでに使っているかもしれません。預貯金も、思っていたほど多くない。さらに年齢を重ねれば、医療費や介護費が増えていきます。認知症になれば、デイサービス、訪問介護、ショートステイ、そして場合によっては施設入所も必要になります。

だから私は、お父さんが亡くなった時、「誰がいくら相続するか」より先に、「お母さんは最後まで安心して暮らせるのか」を考えてほしいと思っています。

目次

第一章 一人になった母の家計は想像以上に変わる

多くの家庭では、ご主人が先に亡くなります。ご主人が元気な間は、夫婦二人分の年金があります。現役時代からの貯蓄があり、退職金もあり、住宅ローンも終わっている。子どもから見ると、「両親はそれなりにお金を持っているだろう」と思いがちです。ところが、ご主人が亡くなると家計は一変します。妻自身の年金と遺族年金が中心となり、世帯全体の収入は確実に減ります。

一方で、生活に必要なお金が同じ割合で減るわけではありません。固定資産税、光熱費、修繕費、医療費など、一人になっても必要な支出は残ります。

そして高齢になるほど大きくなるのが介護費です。元気なうちは、それほどお金を使わなかった人でも、介護が必要になると一気に支出が増えることがあります。特に施設入所となれば、年金だけでは不足し、毎月数万円から十数万円を預貯金から取り崩すケースも珍しくありません。

そんな時に困るのが、ご主人が亡くなった一次相続で、すでに子どもたちに多くの財産を分けてしまっているケースです。もちろん、法律上、子どもが相続することに何の問題もありません。しかし、その前に私は問いかけたいのです。「お母さんは、この先あと何年生きるのでしょうか?」

第二章 「お母さんが100歳まで生きる」と考える

相続の相談を受けた時、私はまず残されたお母さんの預貯金と年金額を確認することを勧めています。なぜなら、この数字を確認しないまま、「法定相続分どおりに分けましょう」「子どもにも今のうちに渡しておきましょう」と決めてしまうのは危険だからです。

一つの考え方として、「お母さんが100歳まで生きたら、いくら必要なのか」を計算してみます。例えば、お母さんが85歳だとします。100歳までなら、あと15年。15年は180か月です。仮に生活費と介護費を合わせて、平均して月25万円必要だとすると、25万円×180か月=4,500万円。もちろん、この4,500万円をすべて現金で用意する必要があるわけではありません。ここから今後受け取る年金収入を差し引きます。例えば年金が月15万円なら、15年間で約2,700万円。単純計算なら、不足するのは約1,800万円です。さらに、施設入所時の一時金、住宅の修繕、医療費などの予備費も考えておく必要があります。

もちろん必要額は家庭によって違います。持ち家なのか賃貸なのか。元気なのか、すでに介護が必要なのか。どのような施設を希望するのか。地域によっても費用は異なります。

しかし、大切なのは数字そのものではありません。「子どもにいくら渡すか」から考えるのではなく、「お母さんが最後まで困らないためにはいくら必要か」から逆算する。この順番が重要なのです。

第三章 相続で守るべきは「財産」ではなく人生

あるご家族で、お父さんが亡くなり、子ども二人が相続について話し合うことになりました。一人は、「法律どおりに分ければいい」と考えていました。それも間違いではありません。

しかし、もう一人はこう言いました。「母は今は元気だけれど、10年後は分からない。まず母に十分なお金を残した方がいいのではないか」


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私は、この考え方に賛成です。認知症外来をしていると、人の老後がどれほど予測できないものかを実感します。80代前半まで一人で買い物に行っていた方が、数年後には認知症が進行し、施設へ入所されることもあります。

転倒や骨折をきっかけに、突然介護が必要になることもあります。つまり、「今は元気だから大丈夫」は、老後には通用しないのです。子ども世代は、まだ働いて収入を得られるかもしれません。

しかし、85歳、90歳になったお母さんが、「お金が足りなくなったから働きます」というわけにはいきません。だからこそ、一次相続では、残された配偶者の生活を守ることを最優先にしてもいいのではないでしょうか。

もちろん、相続税や二次相続まで含めれば、全財産を配偶者に集中させることが必ずしも税務上最適とは限りません。

だから税金の計算は専門家と相談する必要があります。しかし私は、税金を数百万円減らすことより、90歳のお母さんがお金の心配をせず暮らせることの方が、はるかに大切だと思っています。相続とは、単に財産を分ける作業ではありません。残された家族の人生を守るための仕組みなのです。

おわりに 「いくら相続できるか」ではなく「母はいくら必要か」

お父さんが亡くなると、どうしても相続の話になります。土地はいくらか。預金はいくらあるか。兄弟でどう分けるか。

しかし、その話を始める前に、一度考えてみてください。お母さんの人生は、まだ続いています。あと5年かもしれません。10年かもしれません。15年、20年生きられるかもしれません。

そして、その途中で認知症や介護が必要になるかもしれません。だから私は、「自分はいくら相続できるのか」ではなく、「お母さんにはあといくら必要なのか」を最初に考えてほしいと思っています。

十分な生活資金を確保する。介護が必要になっても困らないようにする。その上で余裕があるなら、子どもたちが相続すればよい。私は、この順番が家族にとって一番優しいと思います。

親が最後に子どもへ残したいものは、財産だけではありません。そして、子どもが親に最後に返せるものも、お金だけではありません。「もうお金の心配はしなくていいよ」そう言ってあげられること。それこそが、残されたお母さんにとって、何より大きな安心なのではないでしょうか。

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