日本は、すでに「多死社会」に入っています。高齢化が進めば、死亡者数が増えることは以前から予測されていました。しかし問題は、そのスピードです。2025年の日本人の死亡者数は158万9489人。国立社会保障・人口問題研究所が示していた標準的な推計より、7万人以上も多い数字となりました。
本来であれば、この水準に達するのは2030年ごろと見込まれていました。つまり、日本の多死社会は、想定より5年早く進んでいることになります。この数字は、単なる人口統計ではありません。医療、介護、在宅看取り、火葬場、葬儀、家族の介護負担、そして地域社会のあり方に直結する重大な問題です。死亡者数が増えるということは、それだけ人生の最終段階を支える仕組みが必要になるということです。
今回は、「多死社会」が想定より早く進んでいる背景と、これから私たちが考えるべき課題について整理してみたいと思います。
目次
1 平均寿命の伸びが止まり、死亡者数が想定を上回った
これまで日本は、世界有数の長寿国として知られてきました。医学の進歩、生活環境の改善、栄養状態の向上により、平均寿命は長く伸び続けてきました。
しかし近年、その流れに変化が見られます。男性の平均寿命は2020年まで9年連続で延びていましたが、新型コロナウイルスの影響を受け、2021年、2022年には縮小しました。その後も回復は小幅にとどまり、2024年時点でも2020年のピークには戻っていません。女性も同じような傾向を示しています。
将来推計では、新型コロナによる死亡の上振れは2021年、2022年に限られ、その後は従来のトレンドに戻ると見込まれていました。しかし実際には、死亡率の戻りは遅れています。
ここで重要なのは、コロナそのものによる死亡だけではないという点です。コロナ禍では、受診控えが起こりました。高齢者が病院に行く機会を減らしたり、持病の管理が十分にできなかったりした可能性があります。その結果、糖尿病、心疾患、腎機能低下、呼吸器疾患などが少しずつ悪化し、数年遅れて死亡数の増加として表れている可能性があります。
また、老衰による死亡率の伸びも目立っています。これは一見、自然な最期が増えているようにも見えます。しかしその背景には、医療資源の限界、家族介護力の低下、施設や在宅医療の体制不足も関係している可能性があります。単に「長生きできなくなった」という話ではなく、社会全体の支える力が問われているのです。
2 医療・介護・看取りの現場に大きな負担がかかる
死亡者数が増えるということは、医療や介護の現場で「人生の最終段階」に関わる人が増えるということです。
特に影響を受けるのは、病院、在宅医療、訪問看護、介護施設、ケアマネジャー、介護職です。多死社会では、単に亡くなる人が増えるだけではありません。亡くなるまでの数か月から数年、医療と介護の支援が必要になる人が増えるのです。
認知症、脳卒中後遺症、心不全、慢性腎不全、がん、老衰。高齢者の最期は、ひとつの病気だけで説明できるものではありません。複数の病気を抱えながら、徐々に食事量が減り、歩けなくなり、寝たきりに近づいていくケースも少なくありません。
そのとき必要なのは、延命治療だけではありません。本人がどこで過ごしたいのか。家族はどこまで介護できるのか。救急搬送を希望するのか。胃ろうや点滴をどう考えるのか。最期を病院で迎えるのか、自宅や施設で迎えるのか。
こうした意思決定を、本人や家族、医療・介護関係者が早い段階から共有しておく必要があります。しかし現実には、まだまだ「その時になってから考える」ケースが多いのです。いざ食べられなくなってから、いざ救急搬送されてから、いざ施設から判断を求められてからでは、家族は冷静に決められません。
多死社会では、看取りの数が増えます。つまり、最期に関する意思決定の場面も増えます。医療者や介護者の数が限られる中で、すべてを現場任せにすることはできません。これからは、元気なうちから人生の最終段階について話し合うことが、ますます重要になります。
3 火葬場不足は、社会インフラの問題である
多死社会の課題は、医療や介護だけではありません。記事では、火葬場の不足についても触れられています。東京都では、現在の体制のままでは2035年ごろに火葬需要に対応できなくなるおそれがあるとされています。
火葬場の不足というと、少し遠い話に感じるかもしれません。しかし、これは極めて現実的な問題です。人が亡くなったあと、すぐに火葬できない。葬儀まで何日も待たなければならない。遺族の精神的負担が増える。葬儀費用や安置費用が増える。こうした問題は、すでに都市部では起こり始めています。
また、火葬場は簡単に増やせる施設ではありません。土地の確保、住民理解、行政手続き、建設費、人材確保など、多くの課題があります。必要になってから作ろうとしても、すぐには間に合いません。
これは、まさに社会インフラの問題です。道路、上下水道、病院、介護施設と同じように、火葬場もまた社会を支える重要なインフラです。ところが、死に関する施設は話題にしづらく、どうしても議論が後回しになりがちです。
しかし、多死社会では「死を避けて語る」こと自体がリスクになります。亡くなる人が増えることは、確実に分かっている未来です。だからこそ、行政はより短いスパンで人口推計や死亡推計を見直し、地域ごとの医療・介護・火葬の需要を把握する必要があります。
5年に1度の推計では、変化の速い現代社会には追いつけない可能性があります。出生数も死亡数も推計から外れ始めている以上、より柔軟で現実に即した対策が求められます。
おわりに
多死社会とは、単に死亡者数が増える社会ではありません。それは、多くの人が人生の最終段階を迎える社会であり、その人たちをどのように支えるのかが問われる社会です。医療はどこまで関わるのか。介護は誰が担うのか。家族はどこまで支えられるのか。本人の意思はどのように確認するのか。そして、亡くなったあとの社会インフラは整っているのか。
今回明らかになったのは、日本の多死社会が想定より5年早く進んでいるという現実です。これは、決して悲観だけで受け止めるべき話ではありません。むしろ、今から準備すれば、より穏やかで納得できる最期を支える社会をつくることができます。
大切なのは、死をタブーにしないことです。元気なうちに、家族と話し合う。医療や介護の希望を伝えておく。地域で看取りを支える仕組みを整える。行政は、医療・介護・火葬を含めた社会インフラを前倒しで準備する。多死社会は、避けることのできない未来です。だからこそ、私たちは「どう死ぬか」ではなく、「最期までどう生きるか」を社会全体で考える必要があります。

認知症専門医として毎月1,000人の患者さんを外来診療する長谷川嘉哉。長年の経験と知識、最新の研究結果を元にした「認知症予防」のレポートPDFを無料で差し上げています。